今日も我慢して僕の記事をお読み下さい、僕はシツコイので、
叩くのまだまだ終わらない、
ハッキリ言って、高い場所から見ると僕のやっていることは本当に小さなことである、このようなことをやって模
型の歴史がどうであっても社会的には何にもまったく影響はない、自分がアホに見えてもくる、しかし、そんな
こと言い出したら何にもできない、僕の趣味がなくなってしまう、すぐにボケてしまう、
まあ、我慢して付き合っていただきたい、そこで、本題に入って、
発売予告しかなく発売したという広告がない、発売されたという記事が模型新聞に載ってない、だから、発売さ
れ流通したとは判断できない、販売されても全国的に流通したという痕跡がないので流通したとは判断できな
い、まあ、要約するとそのようなことだろう、しかし、僕に言わせれば自らその研究、調査を放棄したものと同じ
である、その研究から自ら逃げてしまったに等しい、またそれらの方々の間違った嘘で捏造された定説がまか
り通っていることが悲しい、
冷静に考えてみよう、例えばプラモデルの新製品を発売したからといっても自動的に日本模型新聞が記事に
できるわけがない、また自動的にその広告を載せることもできない、コレ当ったり前のこと、
なぜなら、そのようなこと模型新聞社にわかるはずがない、
模型新聞に載せてもらうにはメーカーがその記事の掲載依頼をしなければならない、広告を載せるには掲載
料を払わなければならない、だから、記事にない広告がないから発売していない、という論理は根本的に破綻
しているのである、模型の世界にはいまだにどこのメーカーが発売したものか、一体いつ発売したものなのか
依然として不明なプラモデルは山ほど存在している、それは広告が載ってない、記事が載ってないからだろ
う、だから、世のマニアの方々は僅かな限られた資料等でもって研究調査しているのである、
それから、「発売広告、発売したという記事がないから、その記事が見当たらないから流通したとはいえな
い、」 というこの論理、僕から言わせると、それこそ、「おい、おい、大丈夫かよ」と言いたくなってしまう、
記事にないから、広告がないから、でただ終わるのでは研究でも何ものでもない、ただの通読にしかない、
そもそも、日本模型新聞をちゃんとご覧になられたのだろうか、ちゃんと読まれたのだろうか、
ちゃ~んと、記事に書いてあります、「マルサンのノーチラス号の発売前にはすでに大阪の某メーカーがノーチ
ラス号を発売した」 と記事に書いてある、ちゃんと探すように、ちゃんと研究するように
たしかに日本プラスチックがノーチラス号を発売したという記事や広告は載ってはいない、、が、隅から隅まで
読んでいくと上記のように記事が載っている、そして尚且つ、火星人さんが昭和32年に模型店を開店するさ
いに松屋町の問屋で日本プラスチックのゼロ戦とノーチラス号を仕入れて店頭に並べて発売した、という証言
も得ている、まあ、この証言も嘘でも記憶違いでないことはすでに僕は証明している、そして、そのノーチラス
号の現物も何個も存在している、まあ、これで完璧に日本プラスチックが日本初であることは間違いないとい
えるのである、
ところで、その上記の大阪の某メーカーがノーチラス号を発売、という記事でその某メーカーというのが気にな
る、なぜ日本プラスチックと具体的な名で書いてないのか、実はこれにはある理由がある、
そう、その記事を書かれた方の表面に出すことのできない、心の中に秘められた、心の奥に仕舞われたその
真意というものを解き明かさなければならない、そこまでやってこそ研究というものである、
それについてはまた2、3日中に紹介しよう <続く>
※ 僕の調査はプロの方のような薄っぺらい研究?とか、人からの受け売りではない、このブログでは書けな
いようなこともいろいろとある、取材等も数人の方々にもやっている、当時からマルサンではないとご存じの方
もいらっしゃる、ただそれをここで書くと迷惑をお掛けするので書かないだけの話、(そう、同じ業界の方なの
で)、僕がここまで断定して書いているのは僕が調査をした結果だけでなく、それなりのことがあるわけで、そ
れは今は書けないということ。