火星模型店」を経営し、日本模型新聞の社友でもあった「火星人」こと多田さんであった、
そう、「プラスチックモデルの一番手はマルサンではなく日本プラスチックスである」と、
なんと、その多田さんは今もご健在であった、現在90歳、
僕は多田さんには失礼ながら、もうこの世のお方ではないと思い込んでいたのである、
日本模型新聞の社長さんに電話にて火星人の多田さんのことをお聞きしたところ、なんと今もご
健在であることを聞かされた、もちろん、連絡先等は教えていただけなかったが、いろいろと調べ
て多田さんの連絡先等を知ることができた、
そこで、まず電話をかけてみたのであった、
多田さんの驚きようは電話口でも感じ取れた、「よくぞ、おれのところを突き止めてくれた、今まで
誰一人として突き止めた人はいなかった、いつかは誰かが突き止めて連絡をしてくるかなと思って
いたが、貴方が最初だ」 と、
多田さんの証言を要約すると、
〇 「火星模型店」を開業したのは昭和32年、ちょうどその開店の時に松屋町の問屋から仕入れ
たのが日本プラスチックスのゼロ戦とノーチラス号だった、まだプラモデルは国内産のものは
存在していなかったので、これは珍しいプラスチックの模型だなと思って仕入れた、
ただ、ゼロ戦が先だったか、ノーチラス号が先だったかは今となっては記憶がハッキリしない、
ムスタングP51は仕入れたことも見たこともない、
ゼロ戦はあまり売れなかった、ノーチラス号も売れ行きはよくなかった、
後に発売されたニチモの伊号潜水艦は飛ぶように売れた、
マルサンのノーチラス号はよく売れたのか売れなかったのか、あまり記憶には残っていない、
とにかく、マルサンのやり方は気にくわなかった、
〇 日本プラスチックスの会社のことについては何も知らなかった、
〇 53歳の時に模型店を閉店した、ビル建設のために立ち退きしたためそれを機会に店を閉
じた。
この多田さんの当時の昭和36年の記事、証言、それと他の当時日本プラスチックスのゼロ戦を
購入したという数件の証言等により、日本プラスチックスがゼロ戦を発売したという事実は確定し
てよいだろう、もちろん、その翌年の昭和32年に日本プラスチックスがノーチラス号を発売したこ
とも事実である、日本プラスチックスがマルサンよりも先にノーチラス号を発売したことは日本模
型新聞にも載っており、その現物もいくつも確認しており、東京地区でも発売され市場に流通して
いたことは問屋の三ツ星商店の広告にも載っておりまぎれもない事実である。