さて、(株)日本プラスチックスの代表の濱田偵男さんは一体どんな人だったのだろうか、
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そこで、登記簿謄本に記載されている「布施市下小阪693番地」の住宅地図を取り寄せて調べて
みたのである、
693番地で一番怪しいのは、この「東京堂模型店」であった、
ただし、店名だけでは個人名がわからない、そこで、今度は業者名簿で調べてみたのであった、
「日本教材新聞社」発行の昭和34年、「業者名鑑」である、
その名簿の中にあった、布施市下小阪693 「東京堂模型店」 濱田貞雄 (字体は違っている)
(株)日本プラスチックスの代表者は「東京堂模型店」の店主だったのである、
ここで、僕は仮説をたてた、
「東京堂模型店」の濱田さんは、大阪化学研究所の工場を間借りしてプラスチックモデルの開発
に取り組んだのではないだろうか、と、
それにしても、素人の濱田さんが一体どうやってプラスチックモデルの開発を行ったのだろうか、
それは、大阪化学研究所のことを調べなくてはならない、
現在の地図で見てみるとまだそれらしき会社は載っていた、まずはその現地へ飛んでみないこと
には、 現地へ飛んでみると、その建物はすでに空きビルとなっていた、 <続く>