いたかどうか確認してみた、
しかし、その該当住所に(株)日本プラスチックスという会社は載っていない、
その該当住所らしき場所には(資)大阪化学研究所という会社であった、
さて、(株)日本プラスチックスという会社は架空の会社だったのだろうか、
そこで、東大阪の法務局へ行って、会社の登記簿謄本をとってみたのである、
会社はたしかに実在した、登記簿謄本がとれたので(株)日本プラスチックスという会社は実在し
ていた、
この登記簿謄本のとおり(株)日本プラスチックスは存在していた、
これは取締役欄、
設立目的は登記事項のとおり、合成樹脂製品製造加工、及び輸出、
設立は昭和31年2月11日、
おそらく活動期間は数年間だったのだろう、その後活動らしきものがないので法務局に「みなし解
散」とされ、会社の登記簿は閉鎖されてる、
しかし、会社は間違いなく「布施市長堂2-90」に存在していた、しかし、住宅地図ではそこには
(資)大阪化学研究所が載っている、
ここで考えられることは、(株)日本プラスチックスは(資)大阪化学研究所の別会社ではないかと
いうことであった、
そこで、次にとったのがその(資)大阪化学研究所の登記簿謄本であった、
その(資)大阪化学研究所も同じ住所の布施市長堂2-90 となっている、
しかし、役員等は日本プラスチックスとは違っている、同系列の別会社ではない、
(株)日本プラスチックスは勝手にその布施市長堂2-90 の住所を使用したのか、
そうでなければ、なぜ同じ住所となっているのか、
そこで、注目したのが次の電話番号であった、
72-0290 という電話番号である、(昭和34年の名簿)
そこで、今度は(資)大阪化学研究所の電話番号を調べてみたのである、
まさにその電話番号は(資)大阪化学研究所の番号であった、(これは昭和39年の番号簿なので
局番が3桁に増えて変更になっている)
さあ、これで(株)日本プラスチックスという会社は(資)大阪化学研究所の場所を間借りしていたと
いうことがほぼ確実となったのである、そう、工場の片隅を間借りしていたのだろうと、
つまり、(株)日本プラスチックスは店舗も工場も電話も持たない会社だったのであった、
それにしても、一体どのような会社だったのだろうか、
そこで、日本プラスチックスの代表者である濱田偵男さんは一体どのような方だったのかを調べ
てみたのであった、 <続く>