プラモデルの歴史の中で最大の謎?とされていた「日本プラスチック」、「和工樹脂」の2つについては完全な
までには至っていないが、なんとかその概要までは解明することができた、
もちろん、これからも続行して調査に努めていくつもりである、
ここからは僕のボヤキ、
その結果、いろいろな方々を敵にまわしてしまったことも事実である、
もちろん、僕が喧嘩を売ったわけでもない、
そう、素人がしゃしゃり出て余計なことをしてしまったからである、
プラモデルの歴史の嘘を暴いてしまったからである、
今まで模型のことでお付き合いをさせていただいていた方々も僕から離れていかれた、
その中には僕の雑誌のコレクションで出版された方も、
その他、模型雑誌に資料提供させていただた方々も、
そのほとんどの方々が離れていかれた、いや、敵視されてしまうようになってしまった、
メールで連絡を入れてもまったく返事もこなくなった、黙殺、
今までのお付き合いは一体なんだったのだろうか、
おそらく、そのようなプロの方々のご機嫌を損ねたのだろう、
敵視されるのは仕方ない、その人の勝手であるから僕がどうこう言う必要もない、
今までもシツコク言ってきたように、問題なのはいろいろな妨害工作である、
例の静岡の朝日テレビの件もそう、出版予定の時もそう、
ご自分の立ち位置、権限などを利用して・ ・ ・ ・ ・ ・ どの世界でもそうだが、
普通なら泣き寝入りすれば済むことだが、今はインターネットがある、
まあ僕もご存知のように、大人気なく散々、いやボロクソに批判してきた、
子供じみて大人げない、などと批判されるかと思ったがそうでもなかった、
いや、1件だけブログに内緒のコメントをいただいたことがあった、
「貴方は自分の感情の高まりにただ興奮しているだけ、そのような貴方を気の毒に思います」云々と、
まあ、考えは人それぞれ、いろいろな思想、考えがあって当然のこと、
「日本プラモデル60年史」という書籍についてもボロクソに間違い、嘘を暴いてきた、
なぜ僕がボロクソに批判したのか、その理由は著者の御本人、それに関わった方々が充分におわかりのは
ず、
おそらくこれからは、マルサンに関わる歴史のことを書くライターの方々はいらっしゃらないだろう、
今回の「和工樹脂」の解明については、元々僕は解明するつもりはまったくなかった、
3年ほど前に○○さんとお会いした時に○○さんは僕に、
「ついでに「和工樹脂」についても調べてくださいよ」 と仰った、
その時は、「う~ん、私は東京に住んでいないし、調べるのは無理です」と答えていた、
しかし、頭の中にはなんとか調べてみたいとは思っていた、
それで最初に取り掛かって判明したのが「関孝太郎さん」であった、
それから2年ほどが過ぎ去った、そして今回のように突然のまるで奇跡のように判明したということであった、
できることであれば、今回の「和工樹脂」のことも車の模型雑誌「モデル・カーズ」で採り上げていただいたら
最高であった、まさに最適であった、「マルサンの残像」に始まり「和工樹脂のダットサン」に終わる、という
格好の記事になった、もちろん、執筆は○○さん以外には考えられない、
しかし、それも無駄に終わったようでもう悲しいとしかいいようがない。