全てはマルサンのあの広告から始まった、 の続き、
マルサンの陰謀とハッタリによってマルサンがプラモデルのパイオニアであるということが業界内でも浸透して
いた、
それを更に決定づけたのが「モデル・カーズ」での「マルサンの残像」であったことは間違いないだろう、
それを書かれたのが30数年前のことである、
そう残念ながら、それがプラモデルの歴史の教科書的な存在となってしまった、模型ライターの方々はそれを
基本としてプラモデルの歴史を書いてきた、そう、ロクに勉強もせず調査もせずに、
ところが、マルサンはプラモデルの始祖ではなかった、
いや、始祖どころか、
実際はマルサンはプラモデル、いやプラスチック関連についてはその時代からは10年遅れていた、
マルサンが当初発売したダットサンをはじめ4種類の車のプラモデルは日精樹脂工業が開発し製造していた
ものであった、いや、それだけではない、ノーチラス号と同時発売した「哨戒水雷艇」 「ストラトジェット爆撃機」
もマルサンが自社で開発したものではないことが濃厚である、(濃厚としたのは僕がまだ証明できないだけ)
結局のところ、マルサンが開発したのはあのレベルのノーチラス号をコピーしたものだけであった、
そのようなことは当初はわからなかったことだろう、
しかし、マルサン関係者などからの取材などでも何か怪しいと感じたはずである、
和工樹脂のことも決して語らなかった、 それだけでも普通なら何か隠している、と感じたはずである、
ノーチラス号の金型作りの苦労話だけで「哨戒水雷艇」などのことは話さない、
あの伝説の(笑)金型職人の方の証言も当時の業界内の事情とはまったくの矛盾だらけ、
まあ、ツッコミどころは満載であったにも関わらず一切触れられずスルーされていた、
最初から「マルサン神話」を作り上げるために捏造してしまった、と言われても仕方ないことだろう、
そう、何としてもマルサンがプラモデルの開発のパイオニアにしたいがために、
例えば、日本プラスチックの存在を否定する根拠として昭和31年10月の日本模型新聞紙上でゼロ線とマス
タングの予告発売の広告を載せているが、その後の発売したという広告も記事も載っていない、だから実際
は発売されたということの確認がとれない、なので予告広告だけに終わり試作品だった可能性もある、
と書かれている、が、
エッ、そこまで日本模型新聞を調べたのであれば、そう、日本模型新聞社まで行って調べたはず、
あの火星人さんの記事も知っているはずである、
「プラモデルの一番手はマルサンではなく、大阪布施の日本プラスチックである」云々という記事、
「マルサンがノーチラス号を発売する以前に大阪の某メーカーがノーチラス号を発売」云々、という記事、
「NBKが昭和34年2月にノーチラス号を発売」云々、という記事、
そして、
三ツ星商店の広告に日本プラスチックのノーチラス号が載っている、ということ、
まあ、絶対に知っていたはず、
それにも関わらずそれをスルーしたということ、
それから、一番の問題点は取材をごく一部の関係者しかやっていないということ、
その関係者たちは自分の都合のいいようにしか証言をしていないということ、
当時は、まだ関係者の方々は大勢いらっしゃった、努力すればコンタクトはとれたはず、
今でも努力すればコンタクトはとれる、 だから僕はここまで言って断言している、
だから、繰り返すがある意味悲しいことになってしまった、
実際にノーチラス号の金型を作っていない、直接に関わっていなかったのに伝説の金型職人に祭り上げられ
てしまった、御本人もついその気になられてノーチラス号の金型を開発した伝説の職人を演じておられる、
もう今更、それは嘘でした、などとは言えないだろう、
また繰り返すが、
たしかに、「マルサンの残像」では、柴田さんがノーチラス号の金型を作ったとは書いてない、
しかし、柴田らが、と書かれている、こう書かれると柴田さんが中心メンバーだったと捉えられても仕方ないだ
ろう、 そのことが後に模型ライターの方々が伝説の金型職人に祭り上げてしまった、
また、「和工樹脂」の年配の人と若者二人がマルサン商店に出入りしていた、と書かれている、
今更言うまでもなく、その年配という方が関孝太郎さん、若者の二人というのがストウさんとオオタケさん、であ
った、
その方々がマルサンに出入りしていたということは、当然のことながらマルサン商店の方々は和工樹脂のこと
は全て知っていたはずである、そう、どこで製造しているのか、等々、知らなかったはずがない、
まあ、そのことを話すとマルサンの嘘がバレてしまうので詳しいことは知らないことにした、ということ、
ツッコミどころはたくさんあるがこれくらいにして、
最近の模型雑誌で驚いたというか、僕としてはショックを受けた、
そのことも最近書いたがまた繰り返すと、 まあ、嫌われついでに書いてしまおう、
「モデル・カーズ」の中で、
「プラモデルの始まりについては諸説あり、今となってはその真相を追い求めるのは不可能なことなのかもし
れない」云々、と書かれている、
これを読んだ時、驚きというよりはショックを受けた、
エッ、中止になったとはいえ、執筆を依頼し出版する予定だった記事はそのような捉え方をされていたのかと、
僕が調査し追い求めていた真相は諸説の中の一つの諸説だったのかと、
これほど真相が究明できたのに、今更どうしてまた当初のご自分の説に戻られたのだろう、
結果的には出版中止になってよかったのかも、そう、どのような内容の記事になっていたのか、
もう、悲しいとしかいいようがない。