「サンキット」というメーカーがあった、
(昭和39年3月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)
(昭和41年7月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)
(昭和42年7月8日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)
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サンキット ミステリーバンク
世間では謎のメーカーということになっているらしい、
「はとバス」のプラモが東京プラモとよく似ているので、ひょっとしたら東京プラモと関係があるのかも、とかいろ
いろと噂があるらしい、確かに、「サンキット」に関しては日本模型新聞にもまったく記事がなく、見本市などに
も参加していない、情報がほとんどなかった、ただ、キットについてはいろいろと現物は確認されていた、
その正体は、別に大したことではない、次のとおり、
栄光社 → 三和模型 → 東京プラモ → サンキット
そう、倒産などにより会社の名前がそのように変わっただけのこと、 全て社長さんは「高橋英夫さん」、
まあ、僕がそのようなことを言ってもそのスジの方々はド素人が何を言ってる、「その証拠を出せ!!」
と仰るだろう、そのスジのプロのライターの方々は自分勝手に妄想、捏造して書くが、人様が言うことについ
ては必ずその根拠、証拠を示せ、と仰る、
英光社、三和模型についてはすでに紹介しているので、東京プラモと、サンキットについて紹介してみよう、
この模型新聞の記事で倒産した三和模型の社長の高橋英夫さんがそのまま東京プラモの社長となった、
その後の東京プラモのことについては日本模型新聞にも記事がない、東京プラモの広告はよく載っているが、
東京プラモに関する記事は見当たらない、いつ倒産したのかもその原因などもわからない、
東京プラモはこの広告を最後にその消息を絶ってしまう、
そう、この広告記載以降、模型新聞には一切記載がない、
なぜ日本模型新聞に記事がないのか、それはメーカーから記事の投稿がなかったから、
日本模型新聞に記事、広告を載せるのは基本的にメーカーからの持ち込みによるものだから、
推測であるが、スロットカーを作り過ぎて昭和41年夏頃に倒産したものと思われる、
そして、東京プラモを引き継いだ「サンキット」についても日本模型新聞には広告も、記事も一切記載が
見当たらない、なので、「サンキット」がいつ設立されたなど正確な年代は特定できない、
つまり、「サンキット社」からは何の広告、記事の持ち込みがなかったということ、
いや、ただ一つだけあった、それが次の広告、
これで、東京プラモが倒産?した昭和41年夏頃から昭和42年夏までの1年間の間に高橋英夫さんが設立し
たことは間違いない、
これで、東京プラモの社長の高橋さんがそのままサンキット社を設立したということが証明できるだろう、
つまり、木製模型時代の「栄工社」から「サンキット社」までずっと「高橋英夫」さんが社長だったということ、
昭和29年に日本初のモーターライズ木製戦車模型、そして、全プラスチック製のモーターライズのレースカー
を発売、次にプラモデル初のモーターライズ戦車を、初の家庭用ホームサーキットを発売、
ある意味、なんでも1番手を目指したメーカー、そう、倒産も、
倒れてもすぐに「東京プラモ」を、それが倒れてもすぐに「サンキット社」を、
倒れても倒れてもすぐに起き上がる、ただ、それらの実態はわからない、
その高橋英夫さんの実像などもわからない、「サンキット社」後のこともわからない、
とにかく、模型界の歴史というその実態、実像は闇に包まれている、関係者の方々も多くを語らない、
次に、東京支部から所有している「東京プラモ」、「サンキット社」の「はとバス」のキットの画像が送られてきた
ので紹介しておこう、
左がサンキット版、右が東京プラモ版、
サンキット版の箱絵と比べてみよう、
そのサンキット版を開けてみると、ブルーコメットなのに部品のタグには「ブルースター」という名のタグが付い
ている、何コレっ、
謎多きメーカーである。