昨日は岡山の湯郷温泉へ一人で行ってきた、http://spa-yunogo.or.jp/
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車でゆっくり走って片道2時間、僕は一般道を走るので、
もう2年ほど遊びに行ってないので、たまには遊びに来いとおっしゃるので仕方なく行ってきた、
そう、温泉地とはいっても何も無いところなので(笑)、ぜひいらっしゃ~い、などとお世辞にも言えない、
僕も最初は驚いた、このような温泉地もあるのかと、そういう意味では一度は来る価値はあるのかと、
まあ、本当のことを言うから嫌われるが本当だから仕方ない、
まあ、休日といえど人影はほとんどない、ここは湯郷温泉のメインストリート、
前に見えるのは足湯場、 だ~れもいない、
このように、人影はほとんどない、
ハッキリ言って、湯郷温泉は何にもない、僕は事実しか言わない、
冷泉なので湯けむりもない、見物するところもない、本当に何にもない、
土産売り物店等も1軒もない、みな店じまいしている、
右のホテルも廃墟のように、
かつてバブル時代の頃はストリップ劇場も3軒あったらしいが今はこのように廃墟と化している、
市も観光協会もこの温泉地の活性化をまったく考えてないのだろう、いや考えていないらしい(笑)
女子サッカーチームのかつての「湯郷ベル」も今はさっぱり、
かつては、年一度「おもちゃフェスティバル」なるものを開催し「おもちゃの街」と称して活性化を図っていて、
僕も会場で「昭和のプラ模型」などの講演?などで協力していたが今はそれも廃止され行く機会もなかった、
僕が遊びに行ったところがこの「昭和館」、もう3年くらい遊びに行ってなかったので行ってきた、
そう、「遊びに来い」と仰るので、8年前に開館した当初はまずまずの来館者があったが段々と減少気味だと
いう、第一人通りがまったくない、わざわざではあれなので、近くを車で通る機会があったらぜひお立ち寄りく
ださい、
館内の一部を画像で紹介しておこう、実は開館時よりも随分と展示物が増えている、
これは、小松崎画伯の最後の作品、そう、これが本当の最後の戦艦大和の作品、
戦艦大和を真後ろから見た去り行く戦艦大和の後ろ姿、小松崎画伯の最盛時から比べると随分とタッチの力
が衰えているのがわかる、もう亡くなる直前の作品、
左下のサインをよ~く見ると、サインが途中で途切れている、またサインもハッキリしない、
そう、サインする力もなくなり途中で途切れてしまったのだという、
これは、大正時代のキャラメルの自動販売機、もちろん、調整すれば作動する、
その自動販売機ももう4台ある、右の色付きの販売機は超レア、
僕が小学生の頃まではこのようなパチンコ台であった、
実は小学校に入る前から僕はパチンコ店に出入りしていた、そう、あの女性達に連れられて、
これらも小松崎画伯の原画、
この部屋では「ブルーフイルム」の上映会をやっている、アッ、嘘!!冗談、
今それをやったらどうなるのだろう、まあ、今時「ブルーフイルム」なんて言っても知っている人は僕らの年代
の方々だけだろう、
これは、中島章作画伯の大作の万博会場の絵、少年雑誌の口絵かなにかで使用されたもの、
これもそう、
小松崎画伯の書斎を再現したもの、
これは、あの自宅の火災時の、
これは昔の便所を再現したもの、便器は当時の高級なものを使ってある、
中国縦貫道を通る際に時間があれば美作インターから10分くらいなので、ぜひお立ち寄りください。