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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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あれから60年

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https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72472650.html の続き、

その頃、赤線で働く女性達を「パンパン」と呼んでいた、

普通は不特定多数の米兵を相手にするが、特定の米兵を相手にする女性を「オンリー」さんと呼んでいた、

今で言う、愛人契約?みたいなものであった、だから、その「オンリー」さんのために特別に部屋を用意してい

た、そう、「オンリー」さん専用の部屋であった、

その「オンリー」さん達の中に「マリリン」(名前を思い出せないので仮にマリリンとした)がいた、

そのマリリンさんも、お相手の米兵と遊びに出かける際は、よく僕を一緒に連れて行ってくれた、

海水浴場、映画館、スマートボール、そう、サーカスも観にいった、フリーゲート艦の見学もした、

そうそう、マリリンさんとその米兵、それと母と僕の4人で写真館で家族写真?も撮った、

実は、女性達は家族というものに憧れのようなものを持っていたのではないだろうか、

マリリンさんだけではなかった、写真館では他の何人かの女性達とも米兵、母、僕の4人で家族写真を撮っ

た、つまり、今考えると、女性達は家族というものに飢えていたのだろう、

そう、母は女性達にとっては「ママさん」であった、

せめて真似事だけでもいい、家族一緒に写真を撮ってみたい、そういうことだったのではないだろうか、

しかし、その米兵達ともいずれは別れがくる、そう本国への帰国であった、

いくら職業とはいえ本気で恋心を抱く女性もいた、米兵が帰国した後も手紙を今か今かと待つ女性もいた、

まあ、手紙が来たら大変、女性は大喜び、しかし、読めない、英文を読める人を探すのが大変であった、

しかし、所詮は叶わぬ恋、どのような内容だったのかは僕はもちろん知らない、

中には将来を約束?したものもいたかもしれない、そう、本国で一緒に暮らそう、

しかし、そのようなものは一時的な恋にすぎない、米兵達にとっては本国へ帰ればそんなものすぐに覚めて

しまう、落胆しヒロポンに溺れ廃人同様になって死んでいった女性達もいた。





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