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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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歴史の追跡調査で今振り返ると、

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火星人さんの居所はネットで検索して突き止めた、

電話を架けた時、火星人さんの第一声が、「アンタが初めてだ、私を突き止めてくれたのは、今まで誰一人とし

て私を突き止めた人はいなかった」 と、 その言葉が何を意味するのか直感的に感じるものがあった、

ひょっとしたら、何か伝えたいことがあるのではないかと、

その数日後、火星人さんの自宅を緊急に訪ねていったのは過去の記事に書いたとおりである、

昭和53年に「火星模型店」を閉じてからの30数年間、火星人さんは自分を突き止めてくれるのを待っていた

そう、今か今かと、

火星人さんは90歳、奥様は15年前になくし一人暮らしであった、

僕は問うた、「なぜ、模型新聞紙上でプラモデルの一番手はマルサンではなく、日本プラスチックだ」 と批判

したのですか、日本プラスチックが一番手だとした根拠は何ですか、と問うた、

すると火星人さんは、「昭和32年に模型店を開業する際に松屋町の問屋で見たのが日本プラスチックのゼロ

戦とノーチラス号だった、まだ国産のプラモデルは見たこともなかったので、これは珍しいと思って仕入れた」

と仰った、

そして、「マルサン説を覆しなさい」 と、仰った、

その後、火星人さんとは電話で数回やりとりを行った、再度訪問しようとしたが火星人さんの体調が思わしく

なくその機会を逃してしまった、そしてその最後に電話をやりとりをしてから1か月もしないうちに電話を架けた

ら電話が不通になっていた、すぐに自宅へ駆けつけたがすでに空家になっていた、

実は火星人さんは糖尿病で透析を受けなければならないのにそれを拒否していた、医者嫌いで自宅で死にた

いと、自然に死にたいと、僕が会った時にも、「もうすぐ死ぬから、去年には死ぬ予定だった」と仰っていたが

てっきり冗談だと思っていた、僕が会ってから3か月ちょっとのことであった、

そう、あと僕の追跡調査が3か月遅かったら火星人さんに会うこともできず証言もえることができなかった、

最後の生き証人に会える最後のチャンスだったのである、

後で思うに、火星人さんの「マルサン説を覆しなさい」という言葉は遺言だったような気がしてならない、

そこでその火星人さんの証言を裏付けしなければならない、

そう、「火星模型店」の開業が本当に昭和32年だったのか、ひょっとしたら火星人さんの記憶違いがあるか

もしれない、

日本模型新聞でそれを裏付ける記事を見つけなければならない、

すると、昭和32年3月当時のご自分の店である火星模型店の売れ筋商品の記事が載っていた、

つまり、昭和32年3月には火星模型店を開業していたということである、裏付けはできた、

次に謎が残るのである、火星人さんは昭和36年10月の記事でマルサンではないと批判した、

しかし、その後火星人さんは模型新聞紙上ではマルサンのノーチラス号が一番手だという姿勢で記事を書い

ている、日本プラスチックのことは一切記事にはしていない、その後、日本プラスチックのことを書いたのが

昭和44年のことである、「マルサンのノーチラス号の発売前に某大阪のメーカーがノーチラス号を発売した」

と、その記事はマルサンが倒産して3か月後のことである、

なぜ、火星人さんは昭和36年の記事から一切日本プラスチックのことは記事にせず、一番手はマルサンとい

う姿勢で書いてきたのだろうか、そして、マルサンが倒産後の昭和44年にまた日本プラスチックのことを、

実はそれをお聞きするのを忘れていた、まだまだ会えるからと思って、まさかすぐにお亡くなりになるとは思っ

てもいなかった、

しかし、なんとなく推察はできるだろう、

その間に、「マルサン説」が業界内でも定説化してしまった、

どの書籍類を読んでもマルサン、マルサン、

火星人さんとしてはそれが真実ではないから我慢がならなかったのかもしれない、

だから、「マルサン説」を覆してくれる誰かを待っていたのかもしれない、

火星人さんの「マルサン説を覆しなさい」と言う言葉は僕への遺言のように思えてならないのである。





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