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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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模型の歴史の研究資料で

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プラモデル等の模型の歴史を調べるにあたって、どうしてもなくてはならないものが「日本模型新聞」である、

これがないとどうにもならない、

あと小道具としては、もちろん僕お得意の「電話番号簿」、「住宅地図」等々、

それともう一つ、「業者名簿」がある、


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これがあると、当時そのメーカーが存在していたかどうかがわかる、

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これは、昭和32年5月の発行分、

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この名簿には㈱日本プラスチックの名は載ってない、

しかし、日本プラスチックの濱田さんの「東京堂模型店」の名は載っている、

それはなぜなのか、

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それは、この名簿の編集方法にある、この名簿に載るには日本教材新聞社に掲載を申し込んだ業者、

それと日本教材新聞社が調査して判明した業者が載っているということ、

つまり、日本プラスチックの濱田さんは掲載を申し込んでなかったということ、

もちろん、地元では知られていたかもしれないが、地区外では日本プラスチックという会社の存在さえ知られて

いなかったということ、そう、電話番号簿にも載ってなかったからである、だから、日本教材新聞社にもわかる

はずがない、

では、次の業者名簿では、

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これは、昭和35年2月の発行分、

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ご覧のように、東京も大阪も載っている、 日本プラスチックの名では当時の電話番号簿に載ってないことは

今までも散々言ってきたとおりである、

つまりこの時、日本教材新聞社に名簿の掲載を申し込んだということだろう、

この名簿の発行は昭和35年の2月、ということは、前年の昭和34年の後半に日本教材新聞社は編集を始め

たということだろう、

すでに書いているように、日本プラスチックの濱田さんは昭和35年5月には東京で今の「OS工業㈱」を立ち上

げている、そう、布施市の日本プラスチックを整理して、東京のハマライトの兄の亨さんと合流した、

その間、わずか半年くらいだろう、布施市では一体何があったのだろうか、

さて、話を戻して、その業者名簿を編集する際に掲載を申し込んできた業者はいいとして、申し込んでこなかっ

た業者は独自に調査しなければならない、どうやって調べていったのだろうか、

そのことについては、また後日紹介しよう。





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