さて、今度は昭和44年の模型界における出来事を紹介してみよう、
何と言っても昭和44年の最大の出来事といえば今井科学の第一次倒産だろう、この記事でも簡単に報じてい
る、また余計なことを言うが、あの「しょんないTV」で放映されたこの記事もこの僕の模型新聞を撮影したも
の、決して別の誰かさんのものを撮影したものではない、(この意味をわかっている方はわかっている)
さて、話を戻して、この頃は「モデル大賞」なるものを大阪地区では決めていた、
関西模型小売商組合連合会では毎年優秀なる模型キットを表彰していた、
その審査員となり中心的メンバーが火星人さんこと多田茂数さんであった、この頃の関西地区の模型業界は
相当な力を持っていたのだろう、何と言ってもこの記事でもわかるように模型メーカーの社長を大阪に呼びつ
けて表彰するくらいだからメーカーも一目置くような存在だったのだろう、
火星人さんは「俺が決めていた、だから好き勝手に模型新聞に記事を書いていた、思うように書いていた、メ
ーカーからは何も文句は言われなかった」と僕に仰った、
まあ、今の模型雑誌の記事などとはエライ違いである、特定のメーカーと忖度したものばかり、
エッ、どこのメーカー?、そんなこと僕が言わなくても僕のブログを読んでいる方々ならおわかりのはず(笑)
この「モデル大賞」はいつ頃消滅してしまったのだろうか、まだ詳しくは調べていない、
火星人さんが「火星模型店」を閉店なさったのが昭和53年、それ以後は模型界からは引退なさった、
おそらく、その頃ではないだろうか。