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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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九七式大艇は、

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先日の記事で、ハセガワから九七大艇、マブチからゼネコンレッドが、 この記事では九七式大艇のプラモ化は

ハセガワ模型が世界初だと大げさに書かれている、もちろん、僕はアレッ、と思ったが、

しかし、なぜ、そのように書かれてしまったのか、

本当のことを書くと今度は本当に模型業界から追放処分?をされてしまうので詳しくは書かないでおこう(笑)

そう、僕が悪者になるのはいいけれど、他の方々に迷惑がかかるので、まあ、今の政局みたいなようなもの、

ただし、事実のことは紹介しておこう、

実はそのハセガワ以前に九七式大艇はいろいろなメーカーから発売されていた、

コレクターの方からその画像をいただいたのでそれらを紹介しよう、

イメージ 1

昭和45年以前には、こんなに九七式大艇は発売されていた、YMC,三共、三和、東京プラモ、

こんなに発売されていたとは知らなかった、初めて見るものもある、

同じ三和模型のものでも箱絵が微妙に違っている、もちろん、東京プラモは三和模型の金型、

実は、その模型新聞のハセガワの九七式大艇の記事は火星人さんが書かれたものではない、火星人さんは

そのようなことはしない、

また本当のことを書くといろいろと支障があるので差し支えない程度に書くと、

火星人さんはそのような間違いはしない、何と言っても昭和32年に大阪十三で「火星模型店」を開業されプラ

モデルが世に現れる前から模型界のことを熟知され、昭和35年頃から日本模型新聞の社友として記事を書

かれていた、もし、火星人さんがマルサンがノーチラス号を発売した頃に模型新聞の社友として記事を書かれ

ていたならば、あのようなマルサンの広告や記事、そしてマルサンが日本初というようなことにはならなかった

可能性が高いのである、

つまり、火星人さんはあくまでも事実しか書かなかった、模型業界と忖度することが嫌いだった、

だから、昭和36年の10月の模型新聞紙上で「プラモデルの一番手はマルサンではなく、日本プラスチックで

ある」と、痛烈にマルサンを批判したのである、

そのことも僕は火星人さんから直接聞いている、

それからもちろん、マルサンも自分のところのノーチラス号が国産初ではなく、日本プラスチックが国産初だと

知っていた、そもそも、すでにその頃には日本プラスチックのノーチラス号は東京でも問屋を通じて出回って

おり、そして、マルサンは日本プラスチックのゼロ戦のことも知っていたらしい、

それらのことも今まで何度も記事で書いてきたとおりである、

火星人さんの日本初のプラモデルについての思いは日本模型新聞の社友を退いてからも、そう、亡くなる

直前までその思いは強く続いたのである、

なぜそう言えるのか、それは僕が火星人さんを突き止めてお会いした時にも「マルサン説を覆しなさい」と、仰

った、そして、その3か月後にお亡くなりになった、

その言葉が今となっては遺言のように聞こえてならないのである。



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