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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」

増田屋 ブリキ戦車を、

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これは、ギアチェンジ方式のブリキの戦車玩具、

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メーカーは増田屋、 ギアチェンジするレバーシャフトが欠落しているので本体を分解してみた、

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何かシャフトを差し込めばよい、


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ついでに、ギアボックスに潤滑剤をスプレー、

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スイッチの接触金具を磨く、そして、ギアチェンジ用のレバーにシャフトを差し込んで、

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そのシャフトにスプレーのプッシュする頭を付けた(笑)、

前にシフトすると前進、右にシフトすると右折、左だと左折、

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弾は先込め式、砲塔のレバーを前にやると発射、

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単1電池2本を使用、

走らせてギアチェンジするのが大変、そう、スピードがあるので後を追いかけてチェンジレバーを

操作するのが大変。

このようなチェンジレバーにより操縦する戦車プラモには相原模型の戦車があった。

相原模型 M-60米国新鋭中型戦車


「日本の模型 業界七十五年史」で、

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読者の方から「日本の模型 業界七十五年史」のことが出たのでその書籍のことについて話してみよ

う、

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この書籍が出版されたのは昭和61年、

著者は当時、「モデルホビース商会」(旧新教社)の創業者の飛田友彦さんである、

まさに、模型業界が総力をあげて出版した模型の歴史書、今となってはその教科書的な存在となって

いる、その後の模型ライターの方々はこの書を教科書として参考にされプラモデルの歴史などを書か

れてこられた、もちろん、ご本人はすでにお亡くなりになっており数年前には息子さんに取材させてい

ただいたことがあった、

内容的には、どこのメーカーに偏るとか媚びることもなく、ごく中立的な立場からいろいろな資料などを

基に書かれているので模型の歴史を知る上では一番最適な書籍だろう、

おそらく、著者の飛田さんは相当な年月をかけ資料を集め、ご苦労なさったに違いない、

今の模型ライターの方々は見習うべきではないかと、

この書籍は、模型の歴史に興味のあるお方はほとんどの方がお持ちではないかと思われる、

その一部について紹介すると、

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まあ、ここでもマルサン社長は堂々と語られている、昭和30年頃からプラモデルのことを調査し始めた

と、昭和33年6月頃に4点ほど完成させた、と、おそらく、マルサン社長においてはその頃はまだ嘘の

物語の話の構成作りが出来上がっていなかったのだろう、

「マルサンの残像」の取材を受けたあたりから嘘の話の構成作りを始められたのだろう、


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この下には日本プラスチックのゼロ戦、ムスタングの予告販売の文が記載されている、

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そして、ここに火星人さんがマルサンを痛烈に批判したことが書かれている、

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そして、プラモデルの一番手はマルサンではなく、日本プラスチックであると、

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ここには、日本プラスチックはデモストレーションに終わる、とある、

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例のニチモの伊号潜水艦が2月頃に発売、とある、

まあ、これらの年表にはいくつか間違いがあるが、

そう、模型ライターの方々の書いた年表の間違いがここにいくつかある、

つまり、模型ライターの方々はこれをそのまま引用しただけ、ということ、

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それらの細かい間違いは仕方ないこと、誰もそれを批判することはできない、

このような書籍を一人で書き上げるのは凄いことである、

最後に筆者の方はおっしゃっている、

まだ不十分であるので、補正完修をお願いしたい、と、

まあしかし、現実はそう甘くはない、模型業界、模型ライターの方々は修正することなく、頑なに間違っ

た、嘘で捏造された歴史を守り抜こうとしている。


ノーチラス号は本当に昭和33年12月に、

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ここまでマルサン商店の嘘が明らかになってくると全てが嘘のように思えてくる、(笑)

さて、マルサン商店のノーチラス号は昭和33年12月下旬に発売されたことになっている、

それさえも疑ってしまう、

なぜなら、12月下旬に実際に発売されたという証拠はない、それを証明するものもない、

日本模型新聞の広告、記事はあくまでもマルサン商店から持ち込まれたものである、

まあ、ハッタリとパクリのメーカーだったので先行広告の疑いをどうしても持ってしまう、

なぜ、その疑いを持ったかというと、

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このプラモはすでに紹介しているように、NBK(日本文化教材)のノーチラス号、

もちろん、これは日本プラスチックのノーチラス号と同じもの、箱替えをしただけのもの、

発売されたのは、昭和34年2月、これも業界、模型ライターの間でもその実態は明らかにされてこな

かった、現物のみが確認されてその実態はスルーされてきた、

このNBKのノーチラス号が発売されていたことを明らかにしたのも火星人さんだった、

そう、当時の日本模型新聞にNBKのノーチラス号が昭和34年2月に発売された、と、

ただ、火星人さんは自分とこの火星模型店に実際に入荷してきたものを根拠に書いている、

それが2月だったということなので、実際にはもっと早く発売されていた可能性もある、

○ ここからは僕の妄想、

マルサンはそのNBKのノーチラス号のことを事前に察知していた可能性が高い、

だから、先手をうって先行広告をうって出たのではないかと、

なぜなら、マルサンはすでに日本プラスチックと関わっていたことはすでに紹介しているとおり、

日本プラスチックがノーチラス号をNBKに売り渡したことなど知っていたはず、

だから、マルサンは慌ててNBKが発売する前に、先行広告、記事を出した、

このことは充分に有り得る話ではないだろうか、

もう、何が何でもマルサンは疑ってかからないといけない(笑)、

ただ、マルサンのノーチラス号は翌年の1月には発売されたことは間違いないだろう、

それは、1月の模型新聞の記事には模型店主の記事で1月には入荷してきたような記事がある。


ダットサン初版キットの謎

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実は、和工樹脂ダットサンの初版キットには謎が残る、

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もう一度初版キットの画像をご覧いただこう、

キットの中身は1色の成型色の部品と、小瓶の接着剤、そして小冊子の写真付きの組み立て説明図、

この初版の箱の中はこれで間違いないだろう、

なぜなら、この初版のものだけでなく、他の初版の中身もこれが入っていることは確認されている、

また、20数年前の中古市場などでは和工樹脂のダットサンのキットといえばこの初版のものがほとん

どであったという、

すでにお気づきの方もいらっしゃったはず、

というのは、

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実は、この写真付きの組み立て説明図では、メッキ仕上げ、黒タイヤになっている、

そう、キットの現物はクリーム色1色の成型色なのに、 メッキ加工などは2版以降のはず、


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また、ラリーで優勝したことが記載されているので9月以降にこの説明図が作られたことは間違いな

い、

その理由としてはいろいろと考えられるが、

初版と2版までの間が1、2ヶ月しかなかった、

つまり、初版のキットを大量に製造したあとすぐにメッキ加工版のキットを製造し、そのキットの組み立

て説明図を作りそれを初版の箱にセットして発売した、

そしてその後、つまり1,2ヶ月後にメッキ加工版の2版を発売した、

もちろん、初版のキットは大量に在庫として残った、

だから、後にその初版のものを市場に放出した、20数年前にその初版のものがほとんどだったという

ことはその影響ではなかったのかと、

以上のことは、僕の妄想、

また近いうちにストウさんのお宅へ訪問させていただくことになっているのでお聞きしてみたいと思って

いる。

業界としては今更塗り替えられない、

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マルサン商店がプラモデルの始祖であり、パイオニアであったという話は真っ赤な嘘でタダの作り話で

あったことはすでに明らかになってしまった、

そう、プラモデルの始祖どころか、ただのハッタリ、パクリ、コピーのメーカーであったことも明らかにな

った、

しかし、模型業界としてはマルサンがプラモデルの始祖としてプラモデルの歴史を作り上げてしまっ

た、そして、今までもそのマルサンを基準として業界の祭り事を執り行ってきた、

例え、そのマルサンの話が嘘であったことが明らかになったところで、そのことを修正することはないだ

ろう、

なぜなら、仮に僕が模型業界の立場だったら絶対に修正しない、あくまでもマルサンが一番だと、

今まで何十年もそれでやってきたのに今更何を言い出すのだ、

しかも、どこの誰かもわからないド素人の糞ジジイの言うことなど信じるわけにもいかない、

そう、立場が変われば態度も変わる、人間ってそのようなものだろう、

今更その歴史を塗り替えられたら業界も混乱し、童友社さんもエライ迷惑なことだろう、

まあ今まで通りマルサンということで貫き通すことしかないだろう、

もちろん、今までの模型ライターの方々も面白くない、今まで書いてきたことが全て否定されるから、

仮に模型ライターの方がプラモデルの歴史を書き換えたとしたら、それこそ模型業界、出版業界か

干されることは間違いないだろう、

まあ、それらのことは仕方ないこと、僕だって逆の立場だったらそうなる、

それはそれでいいとして、

ただ言えることは、いつまで今の状態で、ということ、

模型業界、模型ライターの方々がマルサン説を貫き通すのは別にそれでいい、

それをいつまで貫き通すことができるのか、

おかげさまでネットの威力もあり、プラモデルの歴史の真相についてはもう全国的?に広がった、

もちろん、模型業界、模型ライターの方々にも広がった、

もう今更、プラモデルの歴史は、などと言って出版するライターの方はいらっしゃらないだろう、

いや、去年お一人いらっしゃった、無謀にも僕に対抗して(笑)、

プラモデルの歴史は、などと今までのネタをコピペして論文を書いたり、高い講演料をとって講演する

するような方はいらっしゃらないだろう、(誰とは言わないが、実際には最低15万円の講演料をとる方

がいらっしゃるようで)、 僕は無料でやります(笑)、

つまり、プラモデルの歴史の真相が明らかになっってしまった今、いつまで誤った歴史を堂々と貫き

通すことができるのか、ということ、

いつまでも、「プラモデルの始まりはマルサン」と言っていたのではこれからは皆に笑われてしまう、

しかし、正式にその誤りを認めるわけにはいかない、そのジレンマに陥ってしまうのではないだろうか、

実は、東京と静岡の間では少し温度差があるようで、

どういうことかと言うと、静岡ではマルサンが一番だとかそのようなことはどうでもいいのではないかと、

それは、静岡勢はプラモデルでは東京勢に遅れをとったせいもあるので、どこが一番だろうとあまり関

係がない、

その事例の一つとして、あの件があった、

シツコイと言われてしまうがまた我慢して読んでいただきたい、

もう何度でも書きたい、あの静岡の朝日テレビの「しょんないTV 今井科学サミット」という番組のこと、

未だにその怒りが収まらない、そう、テロ朝のM様からあのような屈辱を受けたことを、

ま、それは置いといて、

実は、あの番組の中でプラモデルの歴史の年表があった、その中にはもちろんのこと、昭和33年マル

サン商店が日本初のプラモデルノーチラス号を発売、という記述があった、

僕は収録の数日前にマルサンは日本初ではありません、それは捏造されたものです、と指摘した、

それとついでに今井科学の創業年代、東京タワーの発売年代なども間違っていたので指摘した、

局側は静岡の模型業界の誰かに確認をとったのだろう、結果的に、今井科学のことについては模型業

界の資料に合わせるということで訂正されることはなくそのまま放映された、

そのかわり、というわけではなかっただろうが意外なことにマルサンのことについては削除します、

ということだった、実際、マルサンについては削除されていた、

ついでに僕の名前も削除されていたが、(笑)、

つまり、今井科学についてはそれが間違いであったとしてもそれが訂正されることはなかった、が、

マルサンについてはまったく触れられることはなくその年表から削除されていたということは、

静岡の模型業界にとってはマルサンのことについてはそれほど重要視していないのではないのかと、

勝手に妄想してしまうのである。

マルサン PT212哨戒水雷艇は、

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マルサン商店がノーチラス号と同時発売した「PT212哨戒水雷艇」で、その哨戒水雷艇はマルサンが

金型などを製造したものではないことはすでに紹介した、

まだ証明できる証拠は持ってないのでここで断定することは出来ないがその哨戒水雷艇は日本プラス

チックが提供したものである可能性が非常に高いことも紹介した、

その哨戒水雷艇をマルサンが製造したものではないことを推察できる日本模型新聞の記事をあらため

て読んでみよう、

ここでもう一度念のために言っておくと、

日本模型新聞の記事、広告は日本模型新聞社が独自に書いたものではなく、メーカーからすなわち

この場合はマルサンから持ち込まれたものを記事にしている、ということ、

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             (昭和33年12月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

この発売予告の記事についてもノーチラス号のことだけで哨戒水雷艇のことは一切ない、

同時発売する予定でノーチラス号と一緒に開発していたはずだが、なぜないの?

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              (昭和34年1月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

ここに、哨戒水雷艇を発売の広告が、よ~く読んでみると、

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この哨戒水雷艇はノーチラス号よりも細部の表現が数段優れており、豪華版であると、

う~ん、ノーチラス号だけでもあんなに苦労して開発していたのに、

それなら、ノーチラス号よりも数段難しかった哨戒水雷艇の金型などは一体誰が?(笑)、

この広告を読んだだけでもマルサンがこの哨戒水雷艇を開発していないことは読めてしまう。

記事に載ってないものこそ真相が、

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もう何度もシツコク言ってきたが、ここで、もう一度シツコク書いてみよう、

日本模型新聞の広告、記事は基本的にメーカーから持ち込まれた広告、記事を記載している、

ということは、裏を返せばその記事に載ってないものこそ真相が隠されている、とも言えるだろう、

そう、誰も自分の都合の悪いこと、事件など載せるわけない、また語ることもない、

だから、プラモデルの歴史においても謎が多い、

つまり、模型ライターの方々も表面的なものだけにしか向き合ってこなかった、

日本模型新聞に載ってないから、こうである、日本模型新聞に載ってないから確認できない、とか、

ところが、その日本模型新聞でちゃんと調べていたのかも怪しい、いや調べてはいないはず、

そう、誤ったデータなどをそのまま受け売りしているだけのこと、だから、昔からその誤ったデータを今

でも引き継いでいる、

全然自分でまったく調べもせずに誤ったデータをそのまま引き継で、物語をそっくりそのまま受け売りし

ただけの本が「日本プラモデル60年史」であったこともシツコイくらい書いてきた、

その本で一気に模型ライターの方々の質、レベルを益々低下させたのも事実である、

噂によると、そのK様も僕のこのブログをいつもご覧のようでプラモデルの歴史の真相も充分すぎる

ほどご存知であった、しかし、いろいろな諸事情で、そう、妨害工作の意味もあってあのデタラメ本を

僕に対抗するために出版なさった、まあ、タチの悪さでは天下一品、

まさに模型ライターであるためには、というその基本姿勢さえも身に付いてはいないのだろう、

そのK様とは一度ご挨拶させていただきたいのだが、イベントなどでもなかなかお会いできない、

そう、我が「模型探偵団」のブースの近くには絶対に来られない(笑)、そう、スルー、


アッ、また話がそれた、話を戻して、

記事に載ってないものこそ、そこに真実が隠されている、

それが、日本プラスチックであり、和工樹脂であった、

日本模型新聞にもほとんど記事がない、それは日本模型新聞に広告、記事を持ち込まなかったから、

それにはいろいろな理由があったからだろう、

絶対に知られたくないもの、載せられないものがある、それこそが真実であった、

僕が未だにその真相がわからないものの一つにNBKのノーチラス号がある、

ノーチラス号は本当に昭和33年12月に、


このNBKのノーチラス号に関しては当時の日本模型新聞には一切広告、記事は載ってない、

また、今までも模型ライターの方々も一切このNBKのノーチラス号については触れていない、


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           (昭和34年3月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

そして、当時のこれらの広告にも載っていない、本来なら絶対に載せるはず、

なぜなら、NBK初のプラモデルであるので大々的に宣伝しなくてはならない、ということ、

それこそ、マルサンのノーチラス号に対抗しなければならない、

なんと言っても、NBKは問屋である、新製品であるからには絶対に広告に載せなければならない、

しかし、なぜか載せていない、

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             (昭和34年3月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

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そして、当時の日本模型新聞にもNBKのノーチラス号のことは一切載っていない、

マルサンのノーチラス号とニチモの伊号潜水艦のことだけ、

つまり、NBKは自社のノーチラス号のことは日本模型新聞社に持ち込まなかったということだろう、

本来なら絶対に広告、記事に載せるべきだったのに、なぜ載せなかったのか、

今となっては、その発売までに至った経緯、日本プラスチックとの関係、等々は一切わからない、

ただ、わかっていることは、昭和34年2月には発売された、

日本プラスチックのノーチラス号をそのまま箱だけをNBKのブランドにして発売した、

当初は説明図も日本プラスチックの説明図を使用し、その後NBKのブランドに変更している、

ということだけである、

このNBKのノーチラス号が昭和34年2月に発売されたことを明かしたのは火星人さんであった、

その10年後の日本模型新聞に書かれている、

昭和44年の日本模型新聞には、


ただ、火星人さんはその「火星模型店」に入荷して実際に売ったことを基に2月に発売としているので

それより以前にNBKが発売している可能性がある、

それともう一つ、

NBKの社史の「ブンカの歴史」には自社のプラモデル製品のことについては一切書かれていない、

そう、自社で取り扱ったプラモデルについては何一つ書かれてはいない、

そして、すでに紹介しているが、NBKの本社にその社史のことについて問い合わせたが、

「当社には社史なるものは存在しません」 と。

出遅れた静岡勢にとってマルサンは、

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あくまでも僕の妄想であるが、静岡勢の模型メーカーにとってはマルサンの歴史などあまり興味はな

い、マルサンが日本初のプラモデルメーカーであろうがなかろうが興味はない、

ただ、模型組合がそのように決めているのでそれに合わせているだけ、

そう例え、マルサンの嘘の歴史が覆されたところで何の影響もない、

影響があるのは東京勢だけ、特に今のマルサン、童友社、

それに東京勢の業界と繋がっている模型ライターの方々、(モデルアート社と通じているライター等々)

つまり、あの件で僕らはモデルアート社の罠にはまった、

アッ、それと、○東○工さん、ここも大きなイメージダウンは避けられないだろう、

なので、東京勢は何が何でもマルサンを守り抜かねばならない、


静岡勢がほとんどマルサンに興味がないことについて、その根拠の一つの事例として昨日の記事で

書いた、

そう、静岡勢にとっては、プラモデルへの参入が大幅に遅れたことに原因があるのだろう、

マルサンがノーチラス号を発売した頃、静岡勢のメーカーはプラスチック製の模型なんて、とハナも

ひっかけなかった、静岡勢にとって、まだまだその頃は木製模型全盛の時代であった、

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そう、最近作ったこのフジミ模型の白バイ、マルサンがノーチラス号を発売した頃は、まだまだこのよう

な木製模型をガンガン作っていた、中にはプラスチック製の模型など一時的なもので直ぐに消滅してし

まうなどと言い切るメーカーもあった、

この白バイの広告が載っていた、

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             (昭和33年12月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

小売120円程度といい加減な価格、

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実際は100円で小売されていた、

まあ、このように静岡勢が本気でプラモデルに参入し始めるのはマルサンより1年から2年ほど経って

からで東京勢からみると相当遅れていたのであった、


だから、静岡勢にとってはマルサンのことなどあまり興味はないというところだろう、

どこが一番であったかなど関係ない、影響があるのは東京勢のみ、

ひょっとしたら、静岡勢はむしろ東京勢のことを快く思っていないのでは、

実は、もう一つの面白い事例があった、

すでに紹介しているが、5月の静岡ホビーショーでの出来事で、

タミヤの元役員の方が僕のところにやって来られた、

「明石さんの話をちょっと聞きたいのですが」と、 そう、僕もちょっとだけタミヤの中でも注目を浴びる

人間になってきた(笑)、いい意味での注目なのか、要注意人物としてのものか、よくわからないが、

まあ、M様も気になって仕方ないことでしょう、 そうそう、近いうちに静岡支部を設置しようかと(笑)、

「エッ、何でしょうか?」  そこで別室に通されて、

「日本プラスチックのノーチラス号のことを詳しく聞かせて下さい」と、(何ッ、この変わりようは、今まで

は目の敵にされていたが)、面食らってしまった、

特にマルサンのノーチラス号と日本プラスチックのノーチラス号の発売順序を確認された、

例の「日本プラモデル60年史」のK様の本の内容が気になっておられたようで、

もちろん、僕はあの本はまったくのデタラメ本ですよ、と言ったが、そのあたりも僕が言うまでもなく

よくご存知のようなそぶりであった、

「明石さんから今聞いた話はK氏には黙っておき知らないふりをしておきます」 と、

本当にこれだけはK様には感謝しかない(笑)、無謀にもあのようなデタラメ本を出版していただき、

皮肉にもそのことが逆に日本プラスチックが脚光を浴び、マルサンの嘘が世間に広まってしまった、

そしてついでに、僕までが脚光を浴びてしまった(笑)、

そうそう、そのうちに「嘘だらけのプラモデルの歴史、その真相は!!」というお題目で講演会を静岡で

やろうかと(嘘)。

ダットサン初版キットは誤り、

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日曜日、東京のストウさんのご自宅へ再び訪問させていただいた、

いや、訪問させていただいたのは僕ではなく、東京支部の相棒、

集まったダットサンの資料などをご覧いただいて、また当時の懐かしい思い出話をお聞きするために、

東京の相棒に訪問してもらった、

そこで、ダットサンの箱の画像を見ていただいたところ、どうも今まで紹介していた発売順序に誤りがあ

った、

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結論から先に言うと、和工樹脂のダットサンの初版は➀ではなく、②、

実は、ストウさんらが実際に販売していたのは②だったとのこと、

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そう、この②のキット、

実は、日精樹脂工業で製造されたキットは銀メッキがしていなかった、

そこで、和工樹脂で東京のメッキ加工会社に依頼して、このホイール、バンパーなどの部品を真空メッ

キしてもらったとのこと、つまり、この②のキットをストウさんらは売り込んでいた、ということらしい、

それでは、➀のキットは一体何?

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元々この➀のキットには謎が多く、僕も初版ということを前提にしてしまって妄想で書いていたが、

実は、この➀の箱、冊子は当時ストウさんは会社内でも見たことない、という、

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このように、会社名の訂正のゴム印を押したこともない、

当時、ストウさんらが取り扱ったキットではなかったらしい、

それでは、このキットの正体は?  ストウさんもまったくわからない、

ここからは、またまた僕の妄想になるが、 もう今となっては妄想するしかない、

その前に事実としては、

○ ストウさんが和工樹脂で活動していたのは昭和35年10月頃まで、

  つまり、それ以降は和工樹脂の活動は事実上消滅した、メンバーは解散、

○ この➀の箱のキットは昭和36年の三ツ星商店のカタログに載っているらしい、
  そのカタログの写真は➀の箱の画像、
  価格表には、その卸値が180円、エッ、何か安い、
  卸値が180円でそれに35%上乗せしての小売値が240円くらい、異常に安い、
  そう、当時の定価は350円、

妄想するとしたら、

和工樹脂活動解散後に関さんはあらたに➀のキットを発売した、そう、メッキ加工をしていない廉価版

のキットを、あらたに日精樹脂に製造してもらったのか、それともメッキ加工前の在庫処分をしたのか、

それから、昭和42年の航空ファンに載っている広告も謎、

「和工樹脂」が活動を終えたのは、


この広告のキットが➀のキットだったのかどうかも不明、 これらの謎を解くのはもう無理だろう、

それから、


ストウさんにお聞きしたところ、この画像の中にニッサンのイタさんは写っていないということでした。

アレっ、この日産自動車のホームページに載っていた当時のデザイナーの方々の画像が急に
削除?されてしまった、他のページなどを探したが見当たらない、なんとも不思議。


米 このヤフーブログは今月末までしか記事の投稿はできませんのでこれから、アメーバブログへ

  移行します、https://ameblo.jp/akasikogorou

アメーバブログへ移行します。

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只今からヤフーブログ終了に伴い、アメーバブログに移行します、

パソコン操作が苦手につき、さて、うまく移行できるかどうかわかりません、

このブログへの記事投稿などはもうできません。


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