新たに書き加えて直してみた、真実のプラスチックモデルの歴史、
日本で初めてプラスチックモデルを誕生させたのは模型飛行機好きの仲間達であった、 戦後すぐの昭和20年代中期頃から関西では模型飛行機好きが集まってクラブを作り飛ばし会で楽しんで いた、その仲間達はプラスチックという素材に目を付ける、それまでの木製の素材からプラスチックという 素材で模型を作ってみたらどうだろう、その数は6人、その中心的メンバーが濱田貞雄、亨の兄弟であった、 濱田貞雄、亨は「東京堂模型店」を経営、他のメンバーは木工所、鉄工所、工作機械会社経営など、それ ぞれが得意分野を持っていた、特に木工所を経営していた石村栄三は金型製作等が得意であったという、 その模型仲間達が目指すのはプラスチックモデルキットの開発であった、機械類の調達は目途がたった もののプラスチックという合成樹脂に関してはまったくの素人であった、 そこで、濱田兄弟は近くの大阪化学研究所の内田義勇に指導を仰ぐことにした、工場はその大阪化学研 究の工場の片隅を間借りすることとし、そこに機械類を持ち込んでプラスチックモデルの開発が始まった、 そこでは、お互いが自分の得意分野を生かして開発を行った、 そして、開発に目途がたった昭和31年濱田兄弟は(株)日本プラスチックという会社を立ち上げた、 昭和31年に(株)日本プラスチックは1/50 ゼロ戦を、翌年にはゴム動力の「原子力潜水艦 ノーチラス号」を発売する、そして、プラスチックモデルの黎明期、いろいろな玩具メーカー、模型メ ーカーと関わった、プラスチックモデル参入時の田宮模型の窮地を救ったこともあった、 しかし、それらのことはプラスチックモデルの歴史の中に埋もれて表舞台に現れることはなかっ た、それはこの60年もの間、噂はされていたがほとんどが謎のままだった、そして間違った歴史 が語り継がれてきた、その間違った歴史はこれからも永遠に語り継がれるところであった、 そう、それが捏造された「マルサン伝説」等であった、模型業界にとっても都合のいい捏造された 歴史そのものであった、 追跡調査すること10か月、(株)日本プラスチック、その全容をほぼ解明することができた、 そして、プラスチックモデルを誕生させた二人の兄弟の精神、技術を今も脈々と受け継いでいる 会社があった、その会社が、OS工業(株)である、http://www.os-kougyo.jp/publics/index/2 同じく関連会社 http://www.os-kougyo.co.jp では、下記にその経緯を書いておこう、 ● (株)日本プラスチックが日本初のプラスチックモデルを開発発売するまでの経緯 ○ その二人の兄弟とは、濱田兄弟であった、兄弟の名は、兄の亨、弟の貞雄、
〇 その日本で初めてプラスチックモデルを開発した二人の兄弟で弟さんの濱田貞雄さんが 設立した会社 OS工業(株)http://www.os-kougyo.jp/publics/index/2 そのような会社に入社して働きたい、もの作りが好きな人、只今募集中!! 若い方がいらっしゃったら、ぜひ、「OS工業(株)」にまずは電話にてご連絡を。 |
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