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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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もし、「火星人」が引退していなかったら、

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静岡ホビーショーでは(株)ジートッププレス(旧日本模型新聞)の社長さんともお会いしていろいろ

とお話しをお聞きすることができた、その話のことを詳しくここで書くことはできないが、

もちろん、日本模型新聞の社友であった「火星人さん」の話題もあった、

「火星人さん」は今90歳、火星人さんの「火星模型店」は伝説の模型店として今も語り継がれ

ている、もう一度火星人さんのことを書いてみると、

「火星人さん」は昭和54年に模型業界から引退なさった、

そう、昭和32年に大阪の十三で「火星模型店」を開業され、その開店仕入れのために松屋町の

問屋から日本プラスチックのゼロ戦とノーチラス号を仕入れたことは以前の記事でも紹介した、

そして最終的にはその昭和54年にビル建設の立ち退きのために模型店は廃業なさった、

火星人さんが54歳の時である、その後、火星人さんは模型店を再開されることはなかった、

もちろんその後、日本模型新聞の記事を書かれることもなかった、

その模型店を廃業されるまでの20数年間、日本模型新聞の社友として毎号記事を書き、また関

西の模型組合の幹部として活発に活動されていた、また模型業界のご意見番としてその影響力

は大きかったという、それは日本模型新聞の記事にも大きく表れていた、メーカーにも言いたいこ

とを言い、厳しく批判したこともあった、そのことは過去の記事にも書いているとおりである、

もちろん、「プラスチックモデルの一番手はマルサンではなく、大阪の布施にある(株)日本プラスチ

ック、である」と痛烈に日本模型新聞紙上でマルサンを批判したのも「火星人さん」であった、

毎年の「モデル大賞」を決める際も幹部委員として大きな影響力を持っていた、

例の「プラモデル」の名称を使ってはならぬ、と僕に警告した某模型メーカー役員OB(まあどこの

模型メーカーなのかおわかりだろうが)のお方も「火星人さん」のことはよ~くご存じだったようで、

おそらく「火星人」の名は関西だけでなく、静岡まで轟いていたのだろう、いや東京までも届いてい

たに違いない、

ところで、「火星人さん」が54歳で模型業界から引退することなく、その後も継続して活動されてい

たらどうなっていただろう、ひょっとしたら、捏造された「マルサン伝説」などなかったかもしれない、

実は、火星人さんは未だに「プラスチックモデルの一番手はマルサンではなく日本プラスチック

だ」と仰っている、

そして、当時のマルサン商法の悪どさを今でも話される、

イメージ 1

僕が「火星人さん」のお宅を訪問した際にはこの本をいただいた、そう、あの安否確認に訪問した
時である、火星人さんは書店で見かけてこの本を購入したという、

火星人は90歳になる今でもその捏造された「マルサン伝説」が気がかりなのである、

そうそう、近日中に火星人さんのお宅へ行って今回の件を報告しようかな。


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