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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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①プラスチックモデル発祥地の現場

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開催予定のプラモ講座用に今までの日本プラスチックスの追跡について、順を追ってなるだけわ

かりやすいように改めて書いてみた、

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この現場はプラスチックモデルの発祥地の現場で、場所は布施市長堂2-90(当時の住居表示)

(資)大阪化学研究所 の現場である、まさにこの場所が日本初のプラスチックモデルの発祥地で

あった、当時の工場家屋は建て替えとなって今は空きビルとなっているが、大阪化学研究所とい

う名称のプレートは未だにかけられたままとなっている、(画像もご本人の了解済み)

「定説」というものがある、辞書でひくと「解釈が定まっていて議論の余地がない事象」、「一般に認

められ確定的であるとされている説」、と書かれている、この「定説」というものはいろいろな学問

等に多く存在している、そして、その「定説」はある日突然に覆されることも珍しくない、

そしてそれは、プラスチックモデルの歴史においても例外ではない、

では、なぜこの現場がプラスチックモデルの発祥地といえるのか、それは引き続き読んでいただ

ければわかることだろう、

さて、プラスチックモデルを日本で初めて開発し発売したメーカーはどこだろう、そしていつ頃のこ

となのだろうか、まあ、このようなことはプラスチックモデルに興味のない方々はどうでもいいこと

だろう、しかし、少しでもプラスチックモデルに興味のある方々にとっては気になることでもあった、

多くのマニア?、プラモデル研究家達がその解明に努めてきた?、

プラスチックモデルが日本で初めて開発、発売されてからまだ60年も経っていない、逆に言うと

60年も経ってしまった、今となってはその日本初のプラスチックモデルを解明するには、あまりに

も資料等が少なく、現物もほとんど残っていない、そして、直接関わった方々も、つまり生き証人と

いえる方々もほとんど存在しないのが現実である、

そのような現実の中で、プラスチックモデルの開発販売の一番手は「マルサン」である、という定

説が作られてしまった、

そう、日本初のプラモデルは昭和33年12月に発売されたマルサンの「原子力潜水艦ノーチラス

号」である、という定説である、その根拠として挙げられた一つが、当時の日本模型新聞等に掲載

されていた広告である、

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                              ( 模型とラジオ 昭和34年2月号)

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                     (昭和33年12月25日 日本模型新聞 (株)ジートッププレス監修済み)

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しかし、よくよく考えてみると、当時はこのような広告は常套手段であった、   <続く>


フジミ模型 「戦艦長門」

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http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70913348.html の続き、

さて、いざ組み立て開始と同時につまづいてしまう、

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なんと、01モーターの台座の穴がボッチと合わない、

まあ、このようなことは当時のプラモではよくあること、慌てて発売したものだから実際に組み立て

て確認していないのだろう、

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その後、同シリーズで発売された「陸奥」は35モーター使用となったが、

なんと、35モーターの台座にも穴とボッチが合わないので、

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そのために、その35モーター専用の台座が別注で入っている、 

そう、35モーターの台座を外してこの台座を付けることになる、一体どうしちゃんたんだろう、

この後、組み立てていくといろいろな不具合が出てきてしまう、   <続く>

今朝の朝焼け

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                      今朝のベランダから見た朝焼け

電気トラクターの組立、

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このピ二オンギアが回っていない、平ギアは回っているのに、

そう、ピ二オンギアだけ独立してスカスカになっているような、

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ギアボックスを分解してみるしかない、

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やっぱり、平ギアと一体になって回るはずのピ二オンギアが、スカスカの状態となって空回りして

いる、金属製ギアでこのようになるのは珍しい、初めてのことである、

しかし、困った、他にこれとピッタリのギアはないし、仕方ない瞬間接着剤を流し込んでみた、

                                                 <続く>

転写マークは、

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プラスチックモデル本体についてばかり気をとられ、その付属品については気がつかなかった、

そう、プラスチックモデルには必ず転写マークが付属している、

(株)日本プラスチックスがゼロ戦を発売したからには、それに付属している転写マークがあった

はずだろう、ということは、その転写マークを製造したメーカーは日本初のプラスチックモデル用転

写マークのメーカーと言えるだろう、はたして、その日本初のプラスチックモデル用転写マークを

開発したメーカーとは?、

それは、昭和31年にはすでに転写マークを開発していたメーカーだろう、、つまり日本プラスチッ

クスが転写マークを発注した先かもしれない、日本プラスチックが転写マークまで自社で開発した

とは考えにくい、

これを突き止めるのはまず今となっては不可能だろう、ほぼゼロパーセントといっていいだろう、

まあしかし、ものはついで、と言うコトワザ?がある、 あまりにも無謀な調査かもしれないが、

ついでに、ダメモトで只今追跡調査中!!




今夜の明石海峡大橋

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                  今夜の明石海峡大橋は虹色に、

②広告のみで判断したのが、

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まづ、当時の時代背景を考えなければならない、

つまり、今の時代の感覚でもって昔のことを判断するのは危険なことである、

その時代、「本邦初」、「日本初」、「世界初」、というようなハッタリ、誇大広告は当たり前の時代だ

ったのである、そのような時代背景等もよく理解しておかないと、間違った判断をしてしまうのであ

る、当時の模型業界でもそのような「本邦初」、「世界初」、「日本初」などといううたい文句、広告で

発売していた模型は数多くあった、なぜなら、それらの広告が嘘であっても特にクレームを入れる

とか、社会問題になるとか、そのような事態になることもなく、許されているようなおおらかな時代

であった、だから、当時の広告には嘘が多かった、それは模型でも同じこと、

当時の子供達はそれでどれほど泣かされたことだろう、

しかし、残念ながら、世のプラモデル研究家?マルサンひいきの方々は木だけを見て山を見てこ

なかった、そのマルサンの広告だけを根拠として、プラモデルの一番手は「マルサンのノーチラス

号」である、という間違った定説を作りあげてしまったのである、

それと同じことが言える広告があるだろう、例の(株)日本プラスチックスの予告発売広告である、

そう、昭和31年10月に日本模型新聞に日本プラスチックスが予告広告を載せた、

「日本初の総プラスチック製のゼロ戦とP51ムスタングを10月下旬から発売します」云々、という

発売予告の広告である、

それで、世の研究家達?はこれは予告広告で、実際に発売したという広告は見かけない、

だから、日本プラスチックスは実際には発売していないと、決めつけてしまった、(当時子供の頃

その日本プラスチックスのゼロ戦を購入したという証言が数例あるにもかかわらず)

つまり、全て広告のあるなしでもって結論づけてしまったのである、

そして、その1年後に日本プラスチックスはノーチラス号を発売していた事実がわかっていながら

そのようなことは一切無視し、あくまでもマルサンが一番手であると伝えてきたのである、

まさに意図的に作られた「マルサン伝説」というものを作り上げてしまったのである、

そう、何が何でも「マルサンが日本初」ということにしたかったのだろう、

あろうことか、模型業界もその作られたマルサン伝説を基準として、プラモデル50周年等と称して

事を推し進めてきたのであった、

要するに、業界としても今さら「マルサン伝説」を覆されては非常に都合が悪いのであろう、

まさに、「不都合な真実」 であった、、  <続く>

                                                    





東大阪はプラスチックモデルの発祥地だけではなく、

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プラスチックモデルの発祥地は東大阪であることは確定したが、

ひょっとしたら、プラスチックモデルだけではないかも、

さきほど、某会社(昨日のコメント欄でわかりきっているが)の社長さんに問い合わせてみた、

もう代はかわっているので、日本プラスチックスのことはわからない、と、

しかし、他になかなか興味深い情報が、それは、まだまだヒ、ミ、ツ、社長さんに強引に頼み込ん

でしまった、たまには?強引さも必要となる、

それを確認するのは数日かかる見込み、見つけていただいたら嬉しい!!また新しい発見があ

るかもしれない

いや~、東大阪は面白い、調べていけばいくほど今まで知らなかったことが沢山あるような、

そうそう、東大阪にはマブチモーターに蹴散らされた?模型メーカーもあった、

それらについても、今後は追跡調査しなければ、

まさに東大阪はプラスチックモデルの発祥地に相応しい環境が揃っていたのである、

しかし、最近は流出していく中小企業のほうが多いらしい、そう東京へ、東京へと味噌も糞もなび

いて行く、(ちょっと表現が悪いが)、もっと大阪の良さを発信しなければ。



電気トラクターの組立

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60年も経っているので、ゴムキャタピラは癖がついてご覧のような状態に、癖が戻らない、

そして、車輪に輪ッパが短くなって架けられない、ま、これを修正するのは得意中の得意なので

癖になっている部分を切断して自作して繋いだらいい、

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スカスカになっていたピ二オンギアは瞬間接着剤を流し込んだら固定できた、

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ところが、単1電池を電池ケースに入れると電池ケースが膨らんでボディーから飛び出してしま

う、

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このように、単1電池はボディーから飛び出してしまうので使い物にはならない、

しかし、オリジナルのまま組み立てたいので電池ケースはそのままにして組立を続行する、

                                               <続く>

5式中戦車 アーマーモデリングに

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エルエスの幻の試作戦車木製模型5式中戦車、アーマーモデリング最新号に掲載、

これも、ついに突き止めたぞ、

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「これも、ついに突き止めたぞ!!」

昨日は朝から大阪市立図書館へ飛んだ、今年もすでにパワー全開である、

頭と体を使えばボケることもないだろう、あと考えられることとしては、「燃え尽き症候群」くらいの

ものだろう、

今度は何を突き止めたのかというと、

誰の電話番号を使用していたのか、東京堂模型店の濱田さんは本当に間借りが好きだった、

おそらく、資金が乏しかったのだろう、わかる、わかる、ド素人で金も知識も技術もない素人集団

が一からプラスチックモデルの開発を始めたのだから、相当苦労したに違いない、

マルサンの嘘で作られた苦労話など、糞食らえだろう、

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そう、東京堂模型店の濱田さんが大阪化学研究所の秘密工場を引き揚げた後の電話番号である

この、72-7637 この電話番号がわからなかった、誰の電話番号と部屋を間借りしていたの

か、昨日は朝から大阪市立図書館へ飛んで、もう必死?で電話番号簿やら商工名簿やらをめくっ

て調べた、72-7637 と同じ電話番号を探した、今日こそは絶対に!!

電話番号簿は分厚い、まあ同じ電話番号を見つけるのはそれはもう大変な作業となる、

当時の古い50音別電話番号簿で大体の見当をつけて探す、もちろん、見つからない、

そこで今度は奥の書棚に入り込んで、当時の古い商工名鑑を取り出して最初の頁から1ページず

つめくっていく、

アッタ!!アッタ!! ついに見っけた!!

「エッ、何でこんな所を間借りしていたのだろう」

場所はなんと、あの「塩ジイ」のすぐ近くではないか、    <21日に続く>
                      テレビのように引き延ばしてゴメン、20日は出張のため休み

                                 

電気トラクターの組立

③なぜ、マルサン物語、伝説が、

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ではなぜ、マルサン物語、伝説がまかりとおっているのだろうか、

そう、当時から(株)日本プラスチックスの存在は知られていたのに、すでにマルサンがプラスチッ

クモデルを発売する頃には、その日本プラスチックスのゼロ戦、ノーチラス号が発売されていたこ

とは知られていたのに、しかもゼロ戦は別としても、ノーチラス号は東京をはじめ問屋を通じてい

たるところに出回っていたのは知られていて、今でもその現物はあちこちで所有されている、

なのに、なぜだろう、

それは、(株)日本プラスチックスという会社の実態が掴めなかったからである、

実は、(株)日本プラスチックスという会社は当時から謎だったのである、

おそらく、昭和31年頃からすでにその会社の実態を知る人はほとんどいなかったと思われる、

それは、なぜか、

会社の店舗も事務所も、電話もなかったからである、工場も電話も全て間借りしていたからであ

る、それは、なぜか、

おそらく、知識も技術も金も機械も何にもない素人集団の5、6人が集まってプラスチックモデルを

発し発売したが、あまりにも時期が早かったのと宣伝力のなさが加わり世に浸透することなく、

アッ、と言う間のわずか数年間で消えてしまった、そう、何もないないずくしの為に、

だから、プラスチックモデルのパイオニアでありながら誰にも知れず、歴史の片隅に葬り去られて

しまったのである、つまり、勝者、敗者の論理というものだろう、何度も倒産を繰り返してきたとは

いえ、その名を馳せたという意味ではマルサンは勝者だろう、それに比べて人知れず静かに消え

去ってその名さえほとんど知られなかった日本プラスチックスは敗者だろう、

世の中は勝者の論理が通用してしまう、そして、敗者の論理はそれが正しくても通用しない、

だから、僕は勝者よりも敗者のほうに興味がある、スポットライトのあたらない敗者のほうに興味

がある、

今までも研究家達?が(株)日本プラスチックスという会社の謎の解明に努めたことだろう?、

しかし、それが実ることはなかった、

要は、(株)日本プラスチックスの実態を解明しない限り、作られた「マルサン伝説」を打ち砕くこと

はできなかったのである、

ただ、今となってはそれを解明することは非常に困難なことだった、

60年も時が経っており、しかも当時でさえほとんど知られていなかった会社である、

それに、現在残されている資料等を極めて少ない、ただこのまま放っておくとこの先その謎は永

遠に解明することはできず、永遠に意図的に作られた「マルサン伝説」というものが伝えられてい

くのである、あと数年でもいや1年でもこの解明に取り掛かるのが遅かったら、それこそ永遠に解

明することは不可能だっただろう、残された最後のチャンスだったのかもしれない、

その最後のチャンスの始まりが去年の10月の下旬であった、   <続く>


NBK(日本文化教材 現ブンカ) 魚雷艇?みたいな、

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NBK(日本文化教材)の最初のプラスチックモデルはゴム動力のノーチラス号であった、

そして、そのノーチラス号は(株)日本プラスチックスの金型を譲り受けたものであることは、先の

記事にも書いたとおりである、その頃、日本文化教材は大阪支店開設のために強力な営業体制

を整え関西圏を活動していたのである、おそらく、日本プラスチックスは資金繰りのためにノーチラ

ス号の金型を日本文化教材に売却したのではないだろうか、日本プラスチックスのノーチラス号

はあまり売れなかったらしい、そう、あまりにも開発販売が早すぎてまだまだプラスチックモデルと

いうものに馴染みがなく、それと広告宣伝力のなさによるものだろう、そうこうしているうちにニチモ

から伊号潜水艦が発売され、皆そちらのほうに目が向いてしまった、おそらく相当の在庫が残った

ものと推察される、

なぜなら、昭和34年8月の東京の「三ツ星商店」の広告にも日本プラスチックスのノーチラス号が

載っている、三ツ星商店の在庫処分とみていいだろう、日本文化教材ブランドのノーチラス号の発

売は昭和34年2月頃である、ということは、日本プラスチックスのノーチラス号と、日本文化教材

のノーチラス号が混在して発売されていたことになる、そう、中身は同じで箱違いのノーチラス号

が、おそらく、両方とも売れ残ったことだろう、その後はもちろん、トラックに満載して廃棄処分とな

った可能性が強い、

そう、問屋は次の商品を仕入れないといけないので売れない商品は廃棄して倉庫のスペースを

空けなければならないからである、

そうそう、その日本文化教材は大阪支店を開設後は関西圏の業界にもその影響力を増大させて

いったのである、 その一つの事例が、・ ・ ・ ・ ・  これはまた後日に、

さてさて、その日本文化教材が昭和30年頃に発売していた木製キットの艦船模型がある、

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今から見ると、もう笑ってしまうような艦船模型である、魚雷発射管があるので魚雷艇だろう、


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しかし、それにしては煙突もあるし、2連装の主砲?もある、

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この頃は、ビニールのリード線ではなく、細いエナメル線で配線する、もちろん60年も経っている

ので電通不良となっているが、当時のオリジナルのままを保ちたいのでこのままにしておきたい、

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TORPEDO BOAT とある、英語がダメなのでヤフーの翻訳機能で訳してみたら、

魚雷艇と出た、やっぱり魚雷艇のつもりらしい、

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完成品が箱に入らないので、おそらくこれはキットを組み立てたものだろう、

まあ、僕らの年代にとっては懐かしくて、癒される木製模型である、

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そうそう、キットのままのやつで玉屋模型の木製模型があった、

この頃は船の玉屋模型といえるほど玉屋模型は艦船模型に力を入れていた、

そして、艦船模型専用の模型モーターを独自に開発して発売していた、

この海上自衛隊旗艦「ゆきかぜ」もその中の一つである、 <続く>

1月17日 日の出前

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あれから21年、

明石海峡大橋の淡路側の橋脚のすぐ左付近が震源地、もちろんこのマンションも激しく揺れ動い

たらしい、らしいというのは、僕はその時は塩屋~須磨の海岸沿いを走っているJR電車の中であ

った。

玉屋模型 木製キット「ゆきかぜ」

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プラスチックモデルが現れるまで玉屋模型といえば、艦船模型が得意であった、

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木製キットでもこのような半完成であった、本体はほとんど完成済みで後は動力部分のみ

を組み上げるものであった、TMY とは玉屋模型のロゴマーク、

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「海上自衛隊 護衛艦 ゆきかぜ」だと言われれば、何となくそうかなあ~、と言う感じ、

ただ、僕らの年代にとっては懐かしい木製艦船模型である、

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そして、これが玉屋模型自慢の模型モーターであった、

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このモーターの特徴はシャフトが後部から突き出ていない、内蔵されている、

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電池を繋いでモーターを回してみた、結構よく回る、気のせいかマブチモーターよりも力強く回転

するような気がする、実は当時はこのような模型モーターも得意とし、海外にもTMYブランドとして

多く輸出されたらしい、中がどうなっているのか分解してみたくなる、

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後部の蓋を外してみた、ア~、だからシャフトが突き出ていないのか、

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左右と後部にもこのように磁石が付いている、この磁石の意味がよくわからない、何の役にたって

いるのだろうか、どなたか教えて、

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                  (昭和31年8月10日 日本教材新聞)

しかし、この頃から玉屋模型の模型モーターは例のごとくマブチモーターの戦略により、徐々に姿

を消していくこととなる、それは以前の記事にも書いているとおりである。

2月21日(日)スケールモデラーズ フェスティバル開催

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そうそう、お知らせするのを忘れていた、

2月21日(日) 東京にて、「第2回スケールモデラーズフェスティバル」 が開催される。

         http://firstair.co.jp/modefes/ 


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またまた、渥美産業「横須賀軍港」 を再展示予定、東京では初!!


(当日の東京の天候、交通事情、スタッフ体調事情等により運搬などができない事態も予想される

ので変更、中止もありえます)

電気トラクター モデルホビース商会

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色を塗ると何となくトラクターに似てくる、ゴムキャタピラも癖が付いていた部分は切り取って自作

のキャタピラを繋いで、このようにピッタリとなるように調整した、

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ボンネットを開けて電池を交換する、単1電池が入らないので単3電池をこのようにセットすれば

オリジナルの電池受けはそのまま利用できる、そう、できるだけオリジナルの状態で組み立てた

い、

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                            (昭和30年12月10日 日本教材新聞)

広告のとおり、これは昭和30年の発売、

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                             (昭和30年9月10日 日本教材新聞)
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同じ「モデルホビース商会」の木製キットではすでに紹介している「電気タンク」がある、

電池1本でも意外と力強く、キャタピラも外れることなく走ってくれる。


業界としての説、

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先の記事にも書いているように

火星人の多田さんを突き止めることができたのは、某社への電話であった、(某社としなくてもどこ

かはすぐにおわかりだろうが)

多田さんの例の記事の件でお聞きしたいことがあったので電話をしたのである、

その話の中で、「多田さんは今もご健在ですよ」とおっしゃったので、「エッ、本当ですか」

と、言う具合になったのである、もちろん、連絡先等は教えてはいただけなかったが、

失礼ながら、僕はてっきり多田さんはこの世の方ではないと思い込んでいた、

ご健在ということがわかれば、あとはいろいろと調べれば電話番号等はわかることである、

そこで、記事にも書いているように、多田さん宅を訪問後にその某社の社長さんに多田さんの近

況をお知らせしたのであった、実現できるかどうかわからないが、社長さんと多田さんと僕の3人

一緒にお会いしましょう、ということにもなった、

その時の電話の話の中で、社長さんはおっしゃった、「マルサンが一番手というのは業界としての

説ですから」 と、そう、その一言につきる。




産業廃棄物と一般廃棄物

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160119-00000019-jij-soci 今日のニュースで、

久しぶりに社会の裏話を、

最近は食品の廃棄物の横流し問題で話題になっているが、グッドタイミングでそれに関するニュ

―スが発生した、そう、今度は同志社大学の廃棄物処理に関するニュースである、

普通に考えて、なぜ廃棄物の許可を取らずに処理をしていたのか、しかも関西でも超有名な同志

社大学のことである、廃棄物処理の許可をとりさえすればどうってことないのに、なぜ?

そう、なぜ許可をとらなかったのだろう、と疑問がわくだろう、

実は、そう簡単なことではないのである、

廃棄物処理には、「産業廃棄物処理」と、「一般廃棄物処理」の二つに分かれる、

その産業廃棄物処理業の許可はすぐに取れる、許可を与えるのは県であり廃棄施設等に問題が

なければ申請があれば、基本的に許可がおりる、

ところが、一般廃棄物処理業の許可となるとそう簡単にはおりない、まあ無理、

なぜなら、許可を与えるのは市だからである、一般廃棄物というのは一言で言うと家庭内で発生

したゴミであり、それを処理する責任があるのは市となっている、

その市が一般廃棄物の処理能力を超える場合は他の業者に許可を与えることができる、

だから、一般廃棄物処理業の許可を新規に与えることはほとんどない、

よって、その同志社大学の下請けの業者はその一般廃棄物処理業の許可が取れなかったので

ある、つまり、同志社大学から発生したゴミは家庭内から発生したゴミと同じなのである、

産業廃棄物ではないのである、おそらくその業者は産業廃棄物処理業の許可はもっていたかもし

れないが、このようなケースは氷山の一角であり、特に珍しいことではない、

最近流行の遺品整理業、実はこれは一般廃棄物処理業の許可がないと営業できない、

まあ、その許可を持っているのは極めて少ないだろう、

もちろん、今回の件は同業者、あるいはその事務長に反感を持っている者のタレコミで間違いな

いだろう。
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