その前に、実は日本プラスチックスの関係者の電話番号まで特定できた、その秘密工場であった
所の社長さんの電話番号である、ただ、すでに時遅し、7,8年ほど遅かった、その電話番号は、
2,007年のデータだったのでもう亡くなられたのだろう、そうだろう、お元気であれば少なくとも
100歳近くにはなられるはずなので、
かけてみたら当然のことながら「現在は使われていません」のアナウンスが、
あと数年早かったらご本人と連絡がとれたかもしれない、
しかし、まだまだ諦めてはいない、そこには今も ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ (これはまた後日)
さあ、(株)日本プラスチックの名では電話番号簿には載ってないので、あと考えられるのは他の名
義で契約しているのかもしれない、
そこで、まづは昭和31年の電話番号簿から住所と電話番号が同じ契約者が載ってないかと探そ
うと思ったが、コレはとりあえず後回し、なぜなら、ゼロ戦のプラスチックモデルはまだこの頃は発
売されていないので載ってないだろう、
この昭和33年の分から探すのがいいだろう、同じ電話番号を必死?で探す、
契約しているなら絶対にその電話番号があるはずだ、
ついに、あった!! 住所と電話番号が同じ契約者が、
そう、この濱田さん、東京支店と住所が同じ、電話番号も同じ、
この濱田さん、一体どなた? ここで考えられるのはおそらく日本プラスチックの代表者だろう、
それにしても、大阪本社も電話番号簿には載ってない、
しかし、業者名簿には本社もこの東京支店の電話番号も載っている、おそらく、個人名義で契約し
ているのだろう、それしか考えられない、
なぜ、個人名義で契約しているのだろう、この時点で考えられるのはただ一つであった、
法人名義で契約するには当然のことながら登記簿謄本と印鑑証明を付けなければならない、
それができないから個人名義でやるしかなかった、つまり会社の登記をしていないのではないだ
ろうか、ちゃんと設立登記をしていないと当然のことながら謄本も印鑑登録もできない、
この時点ではそう推理していたのである、
しかし、あるお方は日本プラスチックの謄本をとって調査していたとお聞きしていたので、早速、東
大阪に飛んだのであった、そう、法務局へ、はたしてそれが間違いなく日本プラスチックの謄本な
のか確認も兼ねて、
そうして法務局で1時間ほど待たされてとってきたのが、先に画像で紹介した閉鎖済みの謄本で
あった、ここで、僕は推理ミスを犯してしまった、実はその謄本を「見たいものに見てしまった」ので
ある、まあ、そのことにより今回の調査に影響はまったくなかったが、
先の記事で紹介しているように2か所の気になる箇所がある、
その箇所の一つが、この欄である、
この欄の左側に、会社の設立の年月日 昭和31年2月11日、
そして次に、右昭和36年11月11日登記、 となっている、(このような表記は普通はない)
会社の設立日は登記を申請した日が設立日となる、そのことは当然わかっていたが、ここで僕は
「見たいものに見てしまった」のである、僕の頭の中には日本プラスチックは会社設立登記をして
いなかっただろう、という先入観があった、間違った推理をしていた、
会社は昭和31年2月11日に定款や発起人会議事録は揃えていながら、何らかの理由で正式に
設立登記を行わず、昭和36年11月11日にこれまた何らかの理由で慌てて登記申請を行ったの
だと、そのほうが僕が推理していたことには都合がいい、電話契約が個人になっていた理由とつ
じつまが合う、そう、まさに自分が「見たいものに見てしまった」のであった、(実際に極短な場合は
10年も過ぎて登記申請されるケースもあるらしい)、しかし、その場合でも実際に遅れて登記申請
した日が設立日となるので上記のような欄の表示にはならない、
しかし、後になって頭を冷やして見ると、まあ普通はありえない、いや絶対にこのような設立日と
登記日が異なっていることはありえないので、法務局の方に聞いてみたのである、
「この会社設立日と登記日が異なっているのはどういう意味ですか?」と、
すると、「う~ん、隣がその専門なの聞いて下さい」と、
隣のその専門の係の方に聞いてみると、「う~ん、ちょっとお待ち下さい」と、
奥の方で職員の方々が3人ほど集まっていろいろと話し合っている、すぐに回答がでない様子、
30分ほど待たされて出てきた回答が、法務局の統合したことの表示とのこと、
つまり法務局が当時3局ほどあり、それを2局に統合したのでその統合の表示とのこと、
それにしても、この表示では素人がみたくらいではまったくどのような意味なのか絶対にわからな
いだろう、せいぜい「どこどこ法務局より統合により再登記」としないかぎりわからない、
この表示が統合されてきたという意味らしい、まあ、これも見ただけでは素人では意味不明
まあ、普通に読んだら昭和36年11月5日に日本プラスチックスが本店である布施市長堂2-90
より当管内(つまり管轄登記所内)に移転した、 なんだかよくわからない、
まあとにかく日本プラスチックスの謎を解く上で特に影響はなかったのでいいだろう、
僕の推理がちょっと間違っていたということがわかっただけでもいい、
つまり、日本プラスチックスはちゃんと設立登記を行っていたということである、
なのに、何で個人名義で電話契約をしていたのかは不明である、
2件目の気になる欄がコレだろう、昭和49年10月1日、解散登記がされたということ、
簡単に説明すると、法務局では12年以上活動がない会社は休眠会社として職権でもって「みなし
解散」させて登記簿を閉鎖してしまうのである、
だとすると、どのようにしてその会社が活動しているのか休眠状態なのかを判断するのだろうか、
それは、変更登記で判断している、実際に活動していれば役員の変更やら、支店の増設やら、
資本金の変更、定款の変更、会社名の変更等々、いろいろあるだろう、その際は必ず変更登記を
しなければならないのでそれで判断している、
しかし、実際は変更がまったくない会社もあるだろう、そのようなこともあるので、
法務局は「みなし解散」登記の事務に入る前には必ずその旨を知らせる通知状みたいなものを発
送する、それに回答して返送すれば活動している会社として「みなし解散」することはない、
年金で例えると「現況届」みたいなものである、「現況届」を出さないと死亡とみなされる、
つまり、この謄本でいくと日本プラスチックスはその現況届を出さなかったということである、
おそらくすでに消滅していたであろうから、郵便が届かずに法務局にそのまま戻ってきたものと推
察される、
そして、この欄の表示で東京の電話契約が濱田さんであることがわかる、
次に、東大阪の本社の場所を地図でもう一度見てみよう、
この布施市長堂2-90 の場所である、
そのピッタリの場所が「大阪化学研究所」 、まあ、当初この住宅地図を見た時からここだろうと
推測はしていた、ここが秘密の?工場だろうと、
おそらく、名簿に記載されている電話番号はここの「大阪化学研究所」の電話番号が使われてい
るに違いないと、
そう推理して、大阪市立図書館へ飛んだのであった、 <続く>