Quantcast
Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
Viewing all 1704 articles
Browse latest View live

モデラーズフェスティバル出展

$
0
0
4日、5日のモデラーズフェスティバルでは何を展示しようかと考えていたが、

イメージ 1

木製戦車模型の展示を予定している、ゴムキャタピラのチェックやら走るかどうか点検している、

イメージ 2

静岡教材社の「月光号」には旭日旗を掲げた、そう、これは渥美産業のタグ、

イメージ 4

このタグを切り取って貼り付けた、

イメージ 3

それから、長年の疑問であったこの戦車、そう、タミヤ初の戦車模型で箱絵のものとまったく形が違っていたの

でなぜなんだろう、と疑問に思っていたが、最近やっとその謎が解けた、


さて、そのモデラーズフェスティバルではすでにお知らせしている「ガイコツプラモ」以外にも出血大サービスを

予定している。

彫刻刀で彫る方法も、

$
0
0
僕の場合、ゴムキャタピラを自作するには切り貼りが基本となっている、

ただ、もう一つ別の方法もある、

イメージ 1

これは以前にも紹介している三和模型のモンスター戦車、手の平に乗る可愛らしい戦車プラモである、

ニチモのミニタンクよりも少し小さい、

イメージ 2

砲身も上下に可動する、

イメージ 3



イメージ 4

単3電池が収まらないので単4電池にしている、

もちろん、オリジナルのゴムキャタピラは劣化して使用できなかったのでいつものように自作している、

ただ、このキャタピラが小さいのでお得意の切り貼りでの手法が難しい、

そこで考え付いたのが切り貼りではなく、彫ってみようということだった、

イメージ 5

そう、コレ全て彫刻刀で彫ったもの、こんなもの切り貼りは無理、なので彫って作ったもの、

イメージ 6

キャタピラの溝も彫ったもの、しかし、このようなキャタピラを彫って作るのは相当の根気が必要となる(笑)。

もちろん、キャタピラは外れずにちゃんと走ってくれる、

以前に撮った動画があるのでどうぞ、ほどよいスピードで走ってくれる。


我が模型探偵団ではヤケクソの、

$
0
0
4日、5日には「モデラーズフェスティバル」が開催される、

そこで、我が模型探偵団では日頃のご愛読者、フアンの方々にもうヤケクソといえるほどの出血大サービスを

画している、

その第一弾として、 「模型探偵団ブログ読者限定クジ」 

イメージ 1

すでにお知らせしているこの「ガイコツプラモ」を用意している、そう、問題に答えてくじ引きの無料進呈で、

「お前アホか!! そんなものタダであげるなんて」 と言われてしまったくらいの超レアもの、

さて、これをゲットするためのクイズを一つ、

その問題は、「プラモデルを日本で最初に製品化したメーカーは?」 

これに答えていただいてくじ引きで、そう殺到されると思われるので皆さんに早い者勝ちではなく応募の方々

にチャンスをということ、ぜひゲットしていただきたい、

これをゲットしたらヤフオクに出品してもらっても結構、一体いかほどの高額?になるのか、

まだまだサービスは続く、

そのクイズに正解していただいたら、その方全員にもれなく次のプラモを進呈させていただく、

イメージ 2

それがこれらのプラモ、この中にも結構レアなものも入っている、

イメージ 3

マイティジェット、これは最近僕が作ったもの、

イメージ 4

このゴーカートもタダで上げるなんてアホか、と言われるくらいのもの、ただし、超古いものなのでゴムタイヤは

溶けてドロドロ、部品も少し欠品がある、まあ、箱を開けてのお楽しみ、

イメージ 5

これは、外れてしまった方へ、渥美産業のステッカー、もちろん、渥美産業さんの承認済みのもの、

それから、次の問題、次のプラモはなんでしょう、

イメージ 6

この怪しげなプラモ、ローマ字で榛名となっているが、この艦船が榛名?

イメージ 7

ロゴマークがコメット となっている、こんなロゴマーク見たことない、

イメージ 8

イメージ 9

さて、このメーカーの正体をご存じの方、そして、このプラモの元ネタをご存じの方、

会場でお答えいただきたい、このブログでのコメント欄でのご回答はしないで、会場で直接ご回答を、

正解者、お答えいただいた方にはまた別途に特別品を用意しているのでぜひ、

まだまだサービスは続く、次のプラモ、

イメージ 10

「ブログいつも読んでます」と仰っていただければこれらのプラモで好きなものを無料で、

イメージ 11

これらも好きなものを無料で進呈させていただく、これらは先着順なのでお早めに、

静岡での会場での活動はいろいろな陰謀、妨害工作により追放されかかっているので、もうヤケクソで愛読者

の方々に大奉仕させていただきたい、

ぜひ、大阪南港ATCでの「モデラーズフェスティバル」へぜひお出でいただきたい。
          http://modefes.tumblr.com/


昔の電話番号簿は、

$
0
0
昔の電話番号簿は僕にとって模型の歴史を調べるのには必須アイテムであった、

そう、日本プラスチックのことを調べるにはこれがなかったら不可能だったとも言えるほどであった、

当時の電話番号簿で「日本プラスチック」で調べても該当はなかった、そこで逆にその電話番号は誰の名義に

なっているかということで調べていったら、「大阪化学研究所」であり、東京の電話番号は「ハマライト化学研究

所」という名義になっているということが判明し追跡調査が可能になったという次第であった、

そして、マルサンのダットサンのプラモデルの和工というメーカーの名前も該当がなかったので、その電話番

号から調べていったら、練馬区の「関幸太郎」さんの名義だということも判明した、

まあ、普通は他人名義の電話は使用しないのでそれらは特殊な事情があり使ったのだろう、だからその正体

も掴めなかった要因にもなった、

その和工の関幸太郎さんのことについてまだその後の追跡調査は行っていない、何と言っても東京であり明

石に住んでいる僕としてはその追跡調査は難しい、まあ、半年ほど東京に移り住んで本気でやれば判明する

可能性もあるが、現実的にそれも難しい、東京に住んでいる方でどなたか僕の代わりにやってほしい(笑)

つまり、和工についてもマルサン物語に書いてあるようなマルサンの社長やその関係者達の証言も嘘であり、

何か隠していたことは間違いないのでそのあたりを暴いてやりたいが、現実的に今の僕では難しい、

本当に、東京の方で追跡調査してくれるお方がいらっしゃれば嬉しい限りだが、

さて、その役に立った電話番号簿で、超古い電話番号簿がある、

特に昔の電話番号簿を集めているわけではないが、資料としては面白いので入手してみた、


イメージ 1

昭和14年の長野県の電話番号簿、もちろん、これは模型の歴史の研究にはなんの役にもたたない、

ただ、昔の電話番号簿はこのようだった、という参考になるだけのもの、


イメージ 2

表紙はもう虫食いだらけ、 なんと、この時代に「ジャパンツーリストビューロー」 の名が、

イメージ 3

電話のかけ方は今とはまったく違うので若い方々は想像もつかないだろう、

イメージ 4

僕が小学生の頃の田舎ではこのように直接電話交換手の人と会話をかわしていたのを記憶している、

当時はまさか今のようなSFの世界のような時代が来るとは夢にも思わなかった、


イメージ 5




イメージ 7



イメージ 6

電話番号の桁数の少ないこと。

事故物件、

$
0
0
身の毛がよだつ猟奇事件が発生した、速やかな身元の特定と解決が望まれる、

さて、今回はその事件現場となった部屋のことについて少しばかり書いてみよう、

今回の事件はその被害者となられた方々はもちろんのこと、そのアパートの大家さんもある意味では被害者

である、そのアパートは今後入居者がいるのかどうか、そして退去者がいかほど出てくるのか、

そこで、不動産屋的な目線からその現場となった部屋はどうするのか、

そのような物件は事故物件、あるいは事故住宅と呼ばれている、

おそらく、その部屋は畳、襖等はないはずなのでまずは消臭消毒を行う、クロスが貼ってあればそれを剥がし

て新しいクロスに貼りかえる、なぜなら、クロスには死臭が染みついているからである、だから畳、襖があった

ら全て取り替えることとなる、しかし取り替えるのは家主の判断、問題は浴槽である、取り替えなければならな

いなどという規制はない、まあ、よほど旧式の風呂で元々相当傷んでいたら大家の判断で取り替えるが、新し

いもなら消臭消毒で済まされる可能性が大だろう、

そして、綺麗にした後、その部屋の入居者を募集する際は事故物件としてその経緯を説明して募集しなけれ

ばならない、つまり告知義務である、

まあ普通は最初の1年間の家賃は半額、それ以降は通常の家賃でという条件で募集する、

ただ、事故物件とするかどうか、その事故物件の定義というものがあいまい、

今回の事件の部屋は間違いなく事故物件となるが、例えば妻が帰宅したら夫が倒れて死んでいたとか、

孤独死でその日に発見されたとか、その時の状況によってその判断が難しい、前者は事故物件にしなくても

問題ないが、後者は事故物件にするかどうかその取り扱いには判断がわかれてしまう、とくに規制もなくあい

まいな形になっているので大家の判断次第となる、まあ、そこに入居した人が後からそのことを知った場合の

ことを考えてトラブルにならないようにする必要があるだろう、

ただ、今回の事件でいえば仮に家賃が1年間半額だとしても、浴槽が新規に取り換えられているとしても、は

たしてその部屋に住む勇気のある方が存在するかどうかはわからない、また今後そのアパートに新規に入居

する人がいるかどうかもわからない、

それと、もう一つ重大な問題が残っている、

それは、事故物件の部屋に1週間でもいいが、新規に入居者が住みすぐに退去したとしよう、

そう、例えば幽霊が出るとか、なんか気持ちが悪いのでやっぱりこの部屋を出ます、といって契約を解除して

退去した場合である、

その場合、次にその部屋を募集する際は事故物件ではなくなるということである、誰かが一旦その部屋に住

めば事故物件ではなくなるということ、つまり、次にその部屋を募集する際は事故物件であったという告知義

ないということ、通常の募集でいいということ、まあ、今回の事件の部屋は全国の人が知っているので間

っても入る人はいないと思うが、

資金洗浄の場合は「マネーロンダリング」というが、この場合の部屋洗浄を「ルームロンダリング」というらし

い、噂では事故物件に実際に一定期間住んでルームロンダリングを行う専門の業界人がいるとも聞くが、そ

の真偽を確かめたことはないので実態はわからない、

だから、今回のようにテレビ等でも報道されない普通の首つりや自殺のあった部屋でも知らないと入ってしまう

恐れがあるということ、例えば自殺した事故物件の部屋に入居したとしよう、もちろん自殺した部屋であること

などの告知を受け家賃半額の部屋に入ったとしよう、しかし、すぐに何か気味が悪いような気がしてすぐに契

約を解消して退去したとしよう、しかし、その後大家さんはその部屋は通常の募集でいいということである、

つまり、その自殺があったことを知らないで入居してしまう人がいるということである、まあ幽霊が出なければ

問題は起こらないが(笑)

まさに知らぬが仏、

では、真面目な話としてそのような事故物件に住んでみて本当に幽霊は出ないのだろうか、     <続く>


● その事件のアパートは事件発覚前に売りに出されていたらしい、http://okutta.blog.jp/archives/19789080.html

事件発覚前に買っていたら、それこそ買主は大変なことになっていただろう。





もう、あれから1年経った、

$
0
0
今日、11月3日は、「ジョイハウス」の小川さんの命日である、

そう、もう1年が経ってしまった、つい最近のような気がしていたが、アッ、という間に過ぎ去ってしまった、

ガンの宣告を受けて1年4か月の命であった、僕と同じ昭和24年生まれ、しかも一か月違いの生まれであっ

た、今でも小川さんとのメールでのやりとりはそのまま残してある、なかなか消すことができないでいる、

昨日はそれらのメールをあらためて読み直し、その頃のことを思い起こしてしまった、

亡くなる4,5日前に突然病室の小川さんから弱弱しい声で携帯電話に連絡があり、会いたいと仰ったので直

ぐに病室に会いに行き、小川さんが非常に喜んでくれたその顔が今でも目に浮かんでくる、

亡くなる前日に見舞いに行った時はスヤスヤと気持ちよさそうに寝ていたので、そのまま起こさずに寝顔を見

ただけで病室を去ったのが最後にみた小川さんの生前の顔であった、

その小川さんは今、最北端の稚内に安らかに眠っている。

そして、同じく11月3日、この日は日本プラスチックの濱田さんの命日でもある、

そう、11年前のことである、

その11年前に日本プラスチックのことを突き止めていたら、そして濱田さんに当時のことを聞き出していたら、

日本プラスチックの全ての全貌が明らかになっていただろう、

しかし、今思えば、仮に11年前に濱田さんを突き止めていても、おそらく濱田さんはそれらのことを語ることは

なかったことだろう、

そして、濱田さんの奥様も今もって東大阪時代のことを語られることはない、

語られないその理由は、それは今のところただ推測するしかない、

だから、日本プラスチックという会社が日本初のプラスチックモデルを開発し発売したという真実の歴史が闇に

葬り去られたのではないかと僕は推測している、

ひょっとしたら、僕は昔のことを蒸し返すような余計なことをしたのかもしれない。


今日は「おおさかホビーふぇす」

$
0
0
今日はマイドームで「おおさかホビーふぇす」が開催される、http://osaka.hobbyfes.com/

これから、そこへ出かけることになっている、

それで、某メーカーのブースへ行ってヒヤカシに行く予定にしている、そう、それが今回の目的の一つ、

まあ、僕もかなりのワル、

さて、どのような反応を示されるか楽しみである、その反応が面白ければまた紹介してみよう、

そのヒヤカシとは、それは、まだ、ヒ・ミ・ツ、

さて、明日、明後日は 大阪南港ATCでの「モデラーズフェスティバル」、なるだけお早目にご来場を。
                        http://modefes.tumblr.com/

                 模型探偵団のブースは10階の多目的ルーム

昨日は「おおさかホビーふぇす」に、

$
0
0

昨日は「おおさかホビーふぇす」に行ってきた、

まあ、僕の趣味のイベントではないのでイベント自体は特にどうってことはなかった、

今回の目的は某ブースへ行くことと、ジートッププレス(日本模型新聞)の社長さんに会うことであった、

その某メーカーのブースとは、タミヤではない、タミヤなど僕の眼中にはない、

眼中にあるその某メーカーのブースへ行って、日本プラスチックのことを知らせにいったのである、

OS工業の先代の社長が日本で初めてプラスチックモデルを開発して発売したのだと、マルサンではありませ

んよ、マルサンのことは全て嘘で捏造されたものですよ、と、

「ああ~、そうなんですか」と、特に驚かれることはなかった、おそらく僕の作り話だろうと信用されてなかっ

たのかも(笑)、名刺を渡して詳しくは僕のブログをご覧になって下さいと宣伝しておいたが、おそらくご覧には

なられないだろう、

もちろん、その某メーカーさんはOS工業さんとは取引がある、少なくとも今後のOS工業さんとの取引の会話の

中ではその話で会話も弾むことだろう?「最近イベントでヘンなジジイが私のところへ来ましたが、おたくの会

社とはどんな関係ですか」 と、(笑)

それと、ジートッププレスの社長さんとも話をすることができた、

今度の出版の件を説明して、その中で模型新聞の記事を引用する件の承諾をいただいた、

出版の件とは、もちろん、真実のプラスチックモデルの歴史の件である、

実は、そのジートッププレス社長さんとの話は会場内での立ち話ではなんなので、イベントのスタッフの控室で

行っていた、その控室の部屋の中にはスタッフでコスプレをした20歳くらいの若い女の子がメイクをしていた、

まあ僕らは特に気にしないで社長とは話をしていたのだが、途中でそのコスプレの子が、

「あの~、そんな重要なお話が私に聞こえても大丈夫なんでしょうか、私は席を外して出ていきますので」

と言うので、「いえいえ、別に国家機密を話しているわけじゃないのでそのままで聞いててもいいですよ」

と言って僕らは話を続けていた、まあ、なんと今時の女の子にしては気遣いのできる子なんだろうと、

おそらく、僕らが、「火星人だの、ロボットがとか、この真実を発表したら混乱が、」とか話すものだから、

その女の子は、これは大変な国家機密を話しているのでは、と勘違いしていたのかも(笑)

もちろん、火星人とは模型新聞の記事を書いていた多田さんのこと、ロボットとは渥美産業のロボットのこと、

この真実を発表したら混乱が、というのはマルサンのこと、まあ、女の子ではそんなことわかるはずがない、

まあとにかく、ジートッププレスの社長さんもかなりの高齢ながら益々お元気のようだったので安心した次第で

あった。



今日から明日まで「モデラーズフェスティバル」開催、

$
0
0
さあ、今日4日、5日、は大阪南港で「モデラーズフェスティバル」が開催される、

「模型探偵団」のブースは、10階、の多目的ルーム、一般入場は11時から、

すでにお知らせしているように、模型探偵団では今回はヤケクソで出血大サービスを企画している、

特にガイコツプラモはあちこちから問い合わせがあり非常に困り果てている、おそらく殺到するかも、

そのガイコツプラモについては、まず、「プラモデルを日本で初めて製品化したメーカーは?」に正解していた

だくこと、そして、

数も限られており早いもん勝ちではなく、時間を区切って抽選にしているので、模型探偵団のブースに来られ

たら名前だけを記入、(個人情報の関係もあるのでニックネームでもあだ名でもよい、)して、その時間がきた

選のくじ引きにきていただきたい、

それ以外のプラモは「ブログをいつも見ている、」と仰っていただければ好きなものを無料進呈、ブログを見て

いない方は500円での大サービス、ひょっとしたら、これらにも殺到かも、

さらに、先日画像にて紹介したプラモ以外にも超レアなプラモもあらたに用意した、

その一つが、

イメージ 1

イメージ 2

これも、タダであげるのか!! アホか!! と言われたくらいの大滝のB-29、

これ以外にもあるある、バンバン持ってけ~、本当にもうヤケクソ!!

それでは会場にて。



モデラーズフェスティバル 一日目

$
0
0
昨日は、「モデラーズフェスティバル」の第一日目、

イメージ 1

今回は、木製戦車模型を展示、後方に積んであるのは抽選くじ引きの出血大サービス品、一番の目玉品はも

ちろん「ガイコツプラモ」、次が「ゴーカート」、空くじなし、なにかが当たる、

結局6人の方で抽選となった、番号1番を引き当てた方が1番目に欲しいプラモを選んでいただく、もちろんガ

イコツプラモ、おめでとうございました、

イメージ 6

これらも出血大サービスプラモ、「ブログ観てます」、という方は無料進呈、もう何個でもどうぞ、そうでない方は

100円、200円、一番高いものでも500円、おかげさまで午前中でほとんどなくなった、

次回はもっと過激?なことを企画しよう、

イメージ 2

あまり見かけない木製模型も2点展示、タミヤの「空母大鳳」、それと木製の五式戦車、

この五式戦車は過去の記事でも紹介しているとおり幻の戦車模型である、

全て木製、エルエスの技術者の方が製作なさったもの、そう、プラモ化する前の試作品、シリーズ化する予定

であったが結局は製品化することなく幻となってしまった、


イメージ 5

その作りが凄い、ハッチは全て開閉可能、この薄い板はどうやって作ったのだろう、半世紀以上も経っている

のにまったく板の反りがない、真っ平、文様はどうやって?もういまとなってはこのようなものは作れないだろ

う、もう芸術品としかいいようがない、

イメージ 4

アッ、この中で僕が作ったものがあった、もちろんゴムキャタ(笑)、これだけは僕が作ったもの、

イメージ 3

主砲、37ミリ砲も砲弾発射可能、しかし、壊れたらいけないので未だに発射はさせていない、


イメージ 7

ところが、凄い飛び入りが現れた、この木製戦車、タミヤのリモコンの戦車模型である、

凄く若い方が、そう20歳代くらいの方が持って現れた、ジャンク品を入手して足りない部品等は自作したとの

こと、オリジナルに忠実に再現されたのこと、もちろん僕がこの模型を見るのは初めて、

これも今となっては幻のタミヤの戦車模型といえるのではないだろうか、

イメージ 8

イメージ 11

中の構造も全てオリジナルに忠実に再現されている、もちろんワイヤー式のリモコン、方向転換の時はワイヤ

ーを引っ張り棒を突き出して片方の車体を浮かせて方向転換させる、

イメージ 12

イメージ 13


イメージ 10

そう、このワイヤーを引っ張って車体を浮かせる、

イメージ 9

リモコンボックスも本当に見事に綺麗に再現されている、

う~ん、これは本家のタミヤのオリジナルのものより凄い、凄いものをお持ちいただき、ありがとうございまし

た、アッ、しまった、どこのどなたなのかお聞きするのを忘れてしまった、

イメージ 14

ところで、今日も残りの「ガイコツプラモ」を抽選で、ひょっとしたら、今日が当たる確率が上がるかも、

ぜひ、お出でいただきたい、

イメージ 15

アッ、それから遠くから来ていただいた方々から美味しい物などを沢山いただいた、

その中の一つがコレ、ウルトラマンの当時のレコード、これもいただいた、

イメージ 16

イメージ 17

早速、ウルトラマンの前に展示?させていただいた、

さて、今日も「モデラーズフェスティバル」は午後4時まで開催、ぜひお出でいただきたい。

「モデラーズフェスティバル」2日目

$
0
0
昨日は、「モデラーズフェスティバル」の2日目、

遠くは北九州から、名古屋からとわざわざお出でいただき、ありがとうございました、

もちろん、近隣の京都、大阪地区からもお出でいただいた、

イメージ 1

昨日に引き続き、ガイコツプラモの抽選については結局は2名の方だけとなり、ジャンケンで決めることとなっ

た、勝ち取った方には非常に喜んでいただいた、ぜひヤフオクに出していただくようにお願いしたが、記念にず

っと保管しておきたいとのことであった、

それから、昨日は我が模型探偵団としては最重要課題の案件が決定した、

それと、僕もビックリするような方にもわざわざ来ていただいた、そう、ビックリするようなお話をし持ち込んでい

ただいた、そのビックリするような証言とは、

それらについては後程、    今日の午後からにでも、   <続く>

来秋発売決定!!

$
0
0
さて、昨日の「モデラーズフェスティバル」では、

実は、昨日あるお方が非常に重要な情報を持って来てくださった、

そう、日本プラスチックに関することである、その情報とは、

そのお方は、当時から今も濱田さんの「東京堂模型店」があったすぐ近くに住んでいらっしゃるという、

子供の頃はよく「東京堂模型店」に通われていたという、

そこで、ビックリするようなことを話された、なんと、その「東京堂模型店」ではレベル社のプラモデルを販売し

ていたという、これはどういうことなのか、すでにレベル社のものを販売していたと、そして、数年後にその売

残りレベルのプラモを購入し今も持っていると、

失礼ながら、当時の布施市といえば東京人から見れば地方の田舎、その田舎の小さな模型店の東京堂模型

店でレベルのプラモデルが販売されていたとは、

これはどういう意味を含んでいるのか、

僕の日本プラスチックに関する記事をよ~く読んでいらっしゃる方なら、その意味が推察できるかも、

これで今までの断片的な情報等も繋がっていく、

さてさて、それに関することをもう一つ、

平成9年にモデルアート社から出版された次の書籍で、

イメージ 1

そう、平野克己さんが執筆編集なさった「モデルス プラスチック60」、この本は多くのオールドプラモファンの

お方が読まれたことだろう、

実は、この「モデルス プラスチック60」の改訂版が来年秋に出版されることが決定した、

もちろん、我が「模型探偵団」も全面的に協力させていただくことになっている、

その中で「真実のプラスチックモデルの歴史」が書かれることになっている、

執筆なさるのはもちろん平野克己さんである、そう、プラモデルに関してはその道の第一人者の平野さんが執

筆なさる、その平野さんが書かれることでプラスチックモデルの歴史については決着が付くことになるだろう、

つまり、今までのプラスチックモデルに関する書籍の集大成となるのは間違いないだろう。

※ 最近は非常に便利になった、もう言いたいことが全国にこのようにネットで発信できる、
  僕なんかご存じのようにもう言いたい放題発信している(笑)ただし誹謗中傷はもちろんやってない、
  あくまでも事実を語っている、
  だから、そのスジの業界人、著名人?の一部の方々には敵視されるようになってきた、僕らの行動が気に
  入らなければ正面切って堂々と言ってくればいいだけの話、しかし、そのような勇気はないらしい、
  どうやら、テロ工作がお好きらしい、
  テレビに無断で出たのが気に入らなければ堂々と言ってくればいいだけの話、真実の模型の歴史の研究   が気に入らなければ堂々と言えばいい話、
  最近は僕もテロ工作を受けるような模型趣味の世界では重要人物になってきたのだろうか?(笑)、充分に
  気を付けて行動しなければ、まあ、またそのようなことが起こればまたここで発信すればいいか。


コメット社 HARUNA

$
0
0

イメージ 1

「HARUNA」なんて、どこからその名を持ってきたのかおかしくてしょうがない、

これは僕が持っているプラモではなく相棒の所有物、このようなプラモは僕は詳しくはない、

この「HARUNA」の艦船プラモの元ネタはなんだろうか、アメリカのコメット社というメーカー、

コメット社というメーカーの詳しいことは僕もわからない、なにか古いメーカーらしいが、

どなたか詳しいお方はいらっしゃるのだろうか、

イメージ 2

箱を開けてみると、あまり出来はよくない、

イメージ 3

説明図は日本語、レトロ感たっぷりの手書き風、

この製品は日本国内で発売していたのだろうが、生産は日本国内かアメリカなのかは不明、


イメージ 4

実は、元ネタの金型は宮内製作所の「重巡妙高」ということらしい、

イメージ 5

イメージ 6

このように、まったく金型が同じことがおわかりだろう、

イメージ 7


説明図の絵もまったく同じ、

そしてまたまた、この宮内製作所の「重巡 妙高」にも元ネタの金型があるらしい、

実はその金型の元ネタは「島野製作所」の「重巡 愛宕」らしい、その現物も所有していないが、

それは、「艦船模型大全」のP76に載っている、

その島野製作所といえば有名なのが手のひらサイズのケース付プラモデルの戦艦扶桑、

これも僕は持ってない、以下、全て相棒の物、


イメージ 8

イメージ 9

それからついでに、相棒の話では次のプラモは世界初の戦艦大和のプラモデルらしい、

イメージ 10

となると、この大和の上のプラモは世界初の「空母 瑞鶴」となるのだろう、

イメージ 14

この「パイロ」というメーカーの正体はわからない、何かの本でこの「パイロ社」の大和のプラモが世界初の大

和のプラモデルだと書いてあったらしい、

イメージ 11

次のプラモがその完成品、

イメージ 12

イメージ 13

大和の副砲が右側にだけ付いている、(笑)

この「パイロ社」というメーカーのことはよくわからないので、とりあえずはそのプラモだけ紹介してみた次第で

ある。

ガイコツプラモ 出品中

$
0
0

イメージ 1

ガイコツプラモ 只今出品中!!

日頃のご愛読者の方々にお礼の意味で、先日の大阪イベントではわざわざご来場いただいた方々にお土産

代わりに抽選で進呈させていただきましたが、残り1個のみを本日ヤフオクにて出品させていただきました、

何と言っても、ほとんど市場には出回らない超レアのものですから、果たしていかほどの値が付くのか、

それらの興味もありましたので、どうぞ、興味のあるお方はご参加下さい、ただ、あまりご無理はなさらないよ

幽霊は出るのか、

$
0
0
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72128940.html の続き、

さて、それらの事故物件で一番気になるのが、幽霊が出るのかということだろう、

もちろん、僕が一番怖いのが幽霊であるが、僕には幽霊は見たこともなく霊感みたいなものも一切ない、

僕の今までの経験から僕なりの結論を言うと、幽霊が出たということを聞いたことはなかった、

ただ、それらしきことがあったが、おそらく何かの偶然なのだろうが、

それは、1週間ほど前に新規に入居してきた方が、「すぐに部屋を退去したい」と契約解除に来られたので、

「エッ、最近引っ越してこられたばかりなのに、何かありましたか?」と聞いたところ、

「う~ん、実はいつも上の天井あたりから誰かに見られているような気配がして仕方ないのです」 と、

すぐに、その入居者の方は退去された、あとで僕は気がついた、その真上の部屋は自殺された部屋だった、

まあ、何かの偶然の一致だろうが、

それと、その事故物件マニアという方々も多数いらっしゃる、

そう、その事故物件ばかり狙って住まれる方々である、その理由は1年間家賃が半額だからである、

1年ごとに事故物件ばかりを転々として住む、もう、マニア以外なにものでもない、

公団住宅(UR都市機構)ではそのような事故物件を広告はしていない、

案内所の窓口へ行って「特別募集」の物件はありますか、と聞くと教えてくれる、

大歓迎である、何と言ってもそこで住んでいただければその方が退去して次にその部屋を募集する際には、

通常の募集にすることができるからである、そう、「ルームロンダリング」 である。

さて、次回は安否確認で部屋に突入する話を、    





「モデラーズフェスティバル」ではある契約を

$
0
0
そうそう、このことを忘れないように、また契約上このブログにも記録しておきたい、

実は、「モデラーズフェスティバル」には大勢の方々に来ていただいた、西は北九州から東は埼玉、南は四国

の松山から、遠いにもかかわらずわざわざお出でいただいた、

そこでは、あるお方とある契約を結んだ、

そのお方はどうしても欲しいプラモデルがあるという、どうしても手元に置いて楽しみたいというプラモデルが

あるという、実はそのプラモデルを僕が今持っている、

そのお方から、「実は、ぜひ譲って欲しいプラモデルがあって、〇〇〇〇〇〇なんですが、なんとか譲っていた

だけないだろうか、一度そのプラモデルを手放したが、やっぱり未練を断ち切れず手元に置いて楽しみたい」 

と仰った、まあ普通ならそこまで言われると気前のいい僕としては(笑)すぐに譲ってしまう、

ただ、そのプラモデルは僕が入手の際にはある約束があった、

そのプラモデルは模型店から譲ってもらったものであった、正直に言うと実質タダでいただいたものであった、

ただ、その際に、「このプラモデルは僕が生きている限りは大事に致します、生きている限りですよ、死んだ後

のことはわかりませんが」と冗談交じりに約束をしていた、そう、大げさに言うなら一種の契約であった、

その契約上、それを破るわけにはいかないので、

そのお方には、「そういうことなので、今そのプラモデルを譲るわけにはいきませんが、こうしましょう、多分私

のほうが早く死にますので私が死んだら譲ります」 ということで納得していただいた、

まあ、これも一種の契約である、ちゃんとした書類でなくても、口頭だけでも契約は成立する、

ただ、それだけでは証明がない、それで僕の相棒に証人になってもらった次第である、

〇〇〇さん、これで間違いなく僕が死んだら〇〇〇さんのものになりますから安心して下さいね、

しかし、もうこうなったら何が何でも長生きしなくてはならない(笑)




日本プラスチックの活動期間の謎

$
0
0
日本プラスチックの東大阪での活動はわずか4、5年間であった、昭和34年後期には終了している、

そのまま継続して活動をしていたらレッキとしたメーカー、ひょっとしたら大メーカーになった可能性も大であ

る、しかし、濱田さんは東大阪を引き払い、昭和35年春には東京で今のOS工業を立ち上げている、

プラスチックモデルの歴史に名を残すことがなかったのはたしかに活動期間が短期間だったことも要因であろ

う、そのたった4、5年間の間には具体的に何の製品を製造していたのだろうか、そしてその短期間に終わっ

た原因とは一体何だったのだろうか、もちろん、最初のゼロ戦はいくつもの証言、そしてノーチラス号、は証言

とその現物によて確認れている、昭和34年夏に発売された「フライングヘリコプター」も確認された、

その他の製品等については今のところ確認はされていない、はたして、製品はそれだけだったのだろうか、10

0人もの従業員を使っていたのだからそれだけではないだろう、

しかし、実際の活動状況はまったくの謎なのである、

ここで、その4、5年間に関する今までの証言を整理してみよう、

最大の疑惑は?レベル社のプラモデルを製造していたのか、ということ、

まづ、甥っ子のOS工業の社長さんの証言では、

〇 濱田さんは東大阪で日本プラスチックという会社でプラモデルを製造していた、100人くらいの従業員を    使用していた、外車のオースチンを乗り回し、心斎橋界隈を肩で風を切るように闊歩していた、
   しかし、その後東大阪で裸一貫になって東京に出てきて兄のハマライトに合流し、今のOS工業を立ち上    げた、
   実際に東大阪では何を作っていたのか、日本で初めてプラスチックモデルを開発発売したことなど一切    聞いたことはなかったし本人も語ることはなかった、

そして、先日イベントにわざわざいらっしゃっていただいた証言で、

〇 当時の濱田さんの「東京堂模型店」ではレベル社のプラモデルを販売していた、
  その近隣の模型店でもレベル社のプラモデルを販売していた、
  東京堂模型店ではおばあさん(おそらく濱田さんのお母さんだろう)が店番をしていて濱田さんらしき人は   一度も見たことはなかった、

そして、濱田さんの奥様も東大阪のことを今となっては語られることはなくなった、(もう東大阪時代のことは記憶が薄いと)

これらの証言、状況からある程度の推測はできると思うが、

そう、なぜ急に東大阪での活動をやめなければならなかったのか、なぜ、裸一貫になって東京に出てきたの

か、その推測はできるだろう、ただし、まだその確証は得られていない。


※ 願わくば、当時「濤和化学」の隣の「大東化成」の敷地での「日本プラスチック」の工員だった方でこのブ     ログを読んでいらっしゃったらご連絡を、まずその可能性は限りなくゼロにちかいだろうが、
   いや、先日のように東京堂模型店でレベル社のプラモデルを買って今もそれを持っている、という証言     者のお方も現れたのでゼロでもない、可能性はまだある、

※ しかし今思うには、蒸し返してはいけない過去の模型の歴史を、蒸し返して欲しくない、明らかにして欲し    くない過去の模型の歴史を、そのままソッと闇に葬り去っておいたほうがよかった模型の歴史を、
   つまり、余計なことを僕はやっているのかもしれない、しかし、たかが模型の歴史であっても嘘で捏造さ    れた歴史ではなく真実の歴史を語り続けられなければならない、というジレンマに陥っている。
  





昨日は久しぶりに自転車で、

$
0
0
この二か月くらい神戸まで自転車で行ってなかった、これはいけないと思って昨日は久しぶりに自転車で往復

してきた、出発が8時40分頃、ゆっくり走り一休みしたり模型店へ立ち寄ったりしたので、帰宅したのが3時3

0分頃になった、目指したのははいつものように神戸ハーバーランド、

イメージ 7

途中、長田で一休み、そう鉄人28号の公園で、正面の高層住宅は僕が以前に担当していた公団住宅であ

る、よくあの最上階からの部屋から鉄人が組み上がるまでの作業をよく眺めていた、

イメージ 1

川崎重工のドック横にはよく潜水艦が停泊している、

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 8

この場所は僕がお気に入りのカメラアングルの場所、夏はこの真下は日陰になるので涼むのによい、

帰り際にここで一休み、

実は、帰り際の途中で神戸の模型店に立ち寄ってみた、もう1年以上も立ち寄ってなかった、

イメージ 9

久しぶりに立ち寄ったからには何か買わなければ、手ぶらで帰るわけにはいかないので上の物を購入、

イメージ 10

そう、コレ、木製艦船模型の必需品、キットの中にはこれらは入っていないので別途これらを購入しなければ

ならない、まあ特に今必要ではなかったが手ぶらでは帰れないので購入、

最近はたまにこのような部品を購入する高齢者?がいるらしい、数日前も1万円くらい購入した方がいたと、

アッ、そうそう、数日前に遠くからあるお方が来られたのでこの模型店とは別の模型店へ案内した、そこもこの

ような部品がある、この模型店はそこより大量にあったので〇〇さん、今度いらっしゃったらここへ案内します

ね(笑)

イメージ 11

二連装機銃、もちろん、銃身は上下に可動する、

イメージ 12

単装機銃、これも銃身は上下に可動、

イメージ 13

全部で2,360円、ちょうど2,000円におまけしてくれた、

イメージ 14

陳列棚をガサガサと探していたら接着剤を発見、これはタダでいただいてきた、

イメージ 15

オッ、このクラウンモデルの接着剤は持ってなかった、

イメージ 16

おかげさまで、こんなに溜まった、

イメージ 17

ついでに数十年前のセロテープがあったので購入、年代はまだ特定していない、当時1個30円、

とにかく僕は何でも古い物が好き、正直に言うと新しい物にはついて行けない、

イメージ 18

最近は、ダース箱に興味が出てきた(笑)のでダース箱ごと購入してきたのである、

しかし、模型店なのに何でセロテープが売ってあるの、

イメージ 19

イメージ 20

黄ばんでいてもうベトベト、使えないことはないが使わないほうがいいだろう、

もうこんな物買ったりして「お前アホか」と言われそう、

そうそう、セロテープといえば僕が持っている日本最古の(嘘)セロテープがある、

イメージ 21

そのセロテープがコレ、とにかく古いセロテープには間違いないが年代は特定していない、

イメージ 22

メーカーはニチバン、このようなものを持っている人はまづいないだろう(笑)。

ガイコツプラモの結果

戦時中の科学雑誌の広告で、

$
0
0
昔の科学雑誌が好きなので段ボールに詰めて押し入れ等に入れてある、だからたまに取り出してはパラパラ

と読んでいる、

イメージ 1

これらは、昭和17、18年の科学雑誌、中身は軍事兵器物の解説が多い、

イメージ 2

イメージ 3

広告欄に興味が魅かれる、

イメージ 4

空中空母はいつ出来る? いかに当時が科学教育に力を入れていたかが伺われる、

この、「西宮航空園」というのは今の阪急西宮北口にあった、今では関西でも最高の人気住宅地となってい

る、10年くらい前には西宮球場があった、戦前、戦時中は「防衛博覧会」がよく開催されていた、


イメージ 5

科学雑誌の広告に必ず載っていたのが「ヒロポン」の広告であった、

イメージ 6

製薬会社ではどこでもヒロポンを製造販売していたようである、

そして、戦時中にはすでに特撮映画が上映されている、

イメージ 7

そう、この「ハワイ・マレー沖海戦」、特技監督はあの巨匠円谷英二監督である、

この映画は昭和17年の海軍省の国策による映画であった。

Viewing all 1704 articles
Browse latest View live




Latest Images