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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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昨日は涼みに、

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今年の夏は異常に暑い、夜などエアコンをつけないと眠れない、明石に住んで25年ほどになるが3、4年前ま

ではエアコンをつける日はひと夏に2、3日くらいしかなかった、そう、ほとんどつけることはなかった、

それが最近は昼でもエアコンをつけないと過ごせないほどになってしまった、

そこで、昨日は省エネのために外へ涼みに行った、もちろん自転車で、

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大蔵海岸を通って、舞子へ向かう、

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ここが僕のお気に入りの場所、この橋の下が陰になって涼しいのである、風も通って最高に気持ちいい、

ここに座って遠くの船などをボ~ッ と眺めるのが気持ちいい、

もちろん、ここで涼んでいるのは僕だけではない、高齢者の方々も暇なので涼みに来ている、

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護衛艦が通っている、まだ潜水艦を見たことは一度もない、たまに浮上して通っているらしいが見たことない、

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ここは「舞子砲台跡」

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幕末頃、この明石海峡を通過する外国船を砲撃するために明石藩が砲台を設置したらしい、

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帰りに立ち寄ったのがあの高層マンション、そう、愛人となった壇蜜さんが住んでいたマンション、とは言っても

あの半沢直樹でのドラマの中での話、あのマンションの部屋の中でもロケが行われた、

下の階はショップになっていて「ジュンク堂」が入っているのでそこに立ち寄って立ち読みしていたら、次の本を

見つけたので購入した、


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宝島社から最近出版されたもの、これは個人的にはお勧め本、

アジアの国々がなぜ日本を尊敬し親日国なのか、そう、中国、朝鮮を除くそれ以外の国々が日本を尊敬して

いるのか、これを読むと簡単にわかる、右も左も関係なく読んでほしい、わかりやすく書いてある、

朝日、毎日がいかに反日マスゴミであるか少しはわかるかも、

これを読めば少しは日本人として誇りを持つことができるかも、

まあしかし、反日ボケした朝日はもう目を覚ます見込みはない、いや、朝日はその時々の情勢によってコロッ

ッ、と変わる、何と言っても戦時中は先頭に立って軍部を煽っていたから、この変わりようはなんだろう、

しかし、社旗の旭日旗は変えたくないらしい、なんだかその頭の構造がよくわからない。

地球儀ロゴマークの刻印を確認して、

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あまりにもスピードが速くて部屋の壁にぶつけて大破?させたのがタミヤのスコーピオンであった、

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何と言っても、150円という低価格なのでおこづかいを何日か貯めると買えた、


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底を見ると、ロゴマークが刻印してある、

アッ、そうそう、思い出した、この刻印のことで思い出したことがある、

昭和35年、そのタミヤがプラモデルで一番最初に発売したあの戦艦大和のことである、

実はその戦艦大和にもロゴマークが船底に刻印されている、

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そう、その頃はこの地球儀のロゴマークが刻印されている、

つまり、その戦艦大和の船底にも地球儀のこのロゴマークが刻印されている、はずである、

ところが、タミヤ初のプラモデルとして発売したその戦艦大和にこの地球儀のロゴマークが刻印されていない

ものがある、これいかに、

さあ、確認していただきたい、その戦艦大和をお持ちのコレクターの方々の物はどうなのか、その刻印がなさ

れているのかどうか、

ではなぜ、刻印がないものがあるの? う~ん、ロゴの刻印がないということは、・ ・ ・ ・

もちろん、このようなことはどの書籍にも書いてない、

その謎については確か去年に明石で講演をした時に説明したような、

まだそれを証明できるものがないのでここでは書かないでおく、そう、朝日みたいにデッチ上げの記事は書い

てはいけない、

まあ、僕のブログを毎日熱心?に読んでいただいているお方なら大体のお察しというか推測はつくだろう、

それとも推測で物事を書くな、と叱られちゃうかな、

とにかく、模型の歴史の謎と闇を解いていく過程は楽しい。




羽搏き飛行機

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前から気になっていた羽搏き飛行機の袋を開けてみた、

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この戦前のライトプレーン、まだ袋を開けて中身を見たことがない、

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アレッ、部品がコレだけ、

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う~ん、随分と足りない、

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おそらく、この破れから抜け落ちたのだろう、

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ゴム動力でプロペラの代わりにクランクの針金が回転して主翼をバタバタさせて飛ぶのだろう、

50秒も飛翔とあるが、はたしてどうなのだろうか、もう今となってはこの羽搏き飛行機を飛ばしたことがあるお

方はいらっしゃらないだろう。

6時40分頃の景色

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ピンク色に染まっていたので撮ってみた。

もうお一方の場所を調べたが、

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まだまだ日本プラスチックのことについては謎の部分が多い、

その謎の一つが東大阪の時代のことである、

実は、日本プラスチック設立の際の取締役の方でまだ場所を特定していない方があった、

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この石見準次さんというお方、このお方の場所を特定するために当時の住宅地図で探してみた、

結果は見当たらず、住宅地図ではその自宅は確認できなかった、(ひょっとしてこの画像をご覧になったご家

族の方が、アレッ、これは俺の親父じゃないか、などと発見されるかも、と思ってあえて隠さないで載せた、ま

あそのようなことの可能性はほとんどゼロに近いが)

要するに、東大阪での詳細な活動の実態がまだまだ不明なのである、

特に知りたいのは、日本プラスチックの濱田さんが工場で何を生産していたのかということである、

100人もの従業員を使用して何のプラスチックモデルを生産していたかということである、

そう、ゼロ戦、ノーチラス号、フライングヘリコプター、それ以外の何のプラスチックモデルを生産していたかと

いうことである、濱田さんの東大阪での活動期間はわずか6、7年程度、その内、日本プラスチックという会社

での活動期間はわずか4、5年ほどである、

それらを全部引き払って東京に裸一貫同様でお兄さんのハマライトに合流した、そして、その後そのハマライト

から分離して今のOS工業さんを立ち上げた、なぜ濱田さんは東大阪で裸一貫同然になってしまったのか、

何度も繰り返すが、

濱田さんはその東大阪でのことはほとんど口に出されることはなかったという、もちろん、日本で初めてプラス

チックモデルを開発したことも話されることはなかったという、ただ、プラモデルを生産していたということと、

派手な生活ぶりのことしか話されることはなかったという、

当時その工場で100人ほど働いていたお方を探し出せば判明するが、まあ探し出すのは今となっては不可能

に近いだろう、

ただ、いずれそのことがある時突然に判明する可能性は残っている、

その可能性というのがどういう意味なのか、 このブログを毎日熱心にご覧になっているお方はおわかりにな

っていると思うが、そう、人の歴史には決して口に出したくないことがある。



※ ご参考までに、

  すでに過去の記事でも紹介しているように昭和30年代の住宅地図は当時すでに作成されている、

  ただし、大阪府下のみ、大阪府下であれば寝屋川市であろうが門真市であろうが作成されている、

  地域によっても違うが昭和34、5年頃からなら作成されている、ただネット上ではその会社は探せない、

  何らかの調査等で当時の住宅地図が必要な方は、06-6147-5788 へ問い合わせたらよい。
                                                                              ㈱コアズ

〇〇〇からの手紙、

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「〇〇〇からの手紙」 というと映画の「硫黄島からの手紙」があったが、僕も〇〇〇から手紙が来たことが

ある、さて、その〇〇〇とはどこかというと、それはまだ置いといて、

もしかしたら、ずっと以前に記事に書いたかもしれないが、もう一度紹介してみよう、

もう今から8年くらい前の話である、ある団地での出来事、

牛乳配達の方から連絡が入った、  「512号のAさんの牛乳配達の箱が入ったまま取られていないのです、

もう3本入ったままです、今までこういうことはありませんでした、呼び掛けても応答がありません、ひょっとした

ら中で倒れていらっしゃるのかも知れません、確認して下さい」

早速、その512号室へ行きインターホンを押すも応答はない、 

次に、電気メーター等を確認する、回転盤を見ると目を凝らして見ないとわからないほどゆっくりと回転して

る、郵便ポストを確認するとチラシ、郵便物は数枚中に入ったまま取られていない、

洗濯物も干してはいない、

玄関ドアの新聞投函口を開けてそこに鼻を突っ込んで臭いを嗅いでみる、しかし、死臭の臭いはまったくしな

い、ただ2,3日くらいでは臭いは発生しない、季節によるが少なくとも1週間はしないと臭いは発生しない、

う~ん、部屋の中で倒れていらっしゃるのかどうか判断できない、

仕方ないので、緊急連絡先に記入してあったところに連絡を入れてみた、

エッ、と驚いた、 「今は関係ありません、2度と連絡して来ないで下さい」 と、

後でわかったが、その連絡先はお姉さんのところであった、

さて、どうしよう、状況からして中で倒れていると判断できれば鍵を壊して突入できるが、今の状況では倒れて

いると判断はできない、どこかに旅行に出かけていらっしゃるのかも知れない、その可能性が高いと判断し

た、念のために玄関ドアにテープを貼る、そう、ドアを開けたかどうか確認できるので、

ところが、1週間ほど経ってもテープは貼られたまま、ドアの開け閉めはなかったということ、

かかりつけの病院や商店等に問い合わせるも最近は来てません、とのこと、

さらに数日経っても状況に変わりはなし、

玄関ポストに鼻を突っ込んで臭いを嗅ぐも死臭はまったくしない、普通2週間ほど経っても死臭がしないという

ことはあまりない、ほとんどのケースでは死臭は発生する、特に夏場であれば蠅が飛び交っている、

蠅が飛び交っているということはすでにウジが発生しているということである、

そのような状況ではないので中で倒れているということはほとんど考えられなかったが、ハッキリとそう断定は

できない、身内の人が駆けつけてくれれば立ち合いのうえ鍵を壊して突入するがそれも出来ない、

しかし、この状況をそのまま放置しておくこともできず、「え~い!!突入や!!」 ということにした、

そして、警察官に立ち会ってもらって鍵を壊して部屋に突入することにした、

業者に玄関ドアの鍵穴にドリルの刃を突っ込んでもらってガリガリガリと壊してもらう、

ドアをソッと開けて警察官と突入する、  もちろん、警察官の方を先頭にして、   <続く>










不二化学 東京タワー

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またまた念のために、この僕のブログはずっと前から過激で攻撃的というので定評があったが、最近は特に

暴走化している(笑)、ついに、ご乱心?いやいや、それらはいろいろなことを全て計算づくで書いている

でどうぞご心配なくご覧あれ、  繰り返すが、もうこの世界からは足を洗うつもりで書いている、

さてさて、話題をかえて、

東京タワーのプラモデルと言ったら東宝模型が有名である、

その東宝模型の前身は不二化学であることはすでに紹介しているとおりである、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70406588.html

その不二化学が発売した東京タワーが次のもの、

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不二化学の東京タワーには箱絵違いのものもある、この箱絵のものはあまり見かけない、

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接着液のアンプルは入ってない、

中身は一緒、後のやつも金型を使いまわししているのだろう、

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箱の側面には何も印刷はしていない、メーカー名も価格も書いてない、


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東宝模型、古河模型、青葉実業の説明書も基本的にこれと一緒のはずだと記憶しているが、

おそらく、当時の東京タワーの売店ではこの不二化学のものを当初売っていたはずである。


〇〇〇からの手紙、

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警察官の方を先頭にして部屋に突入する、いや、突入ではない、ソロリ、ソロリと入る、

警察官の方を先頭に入るのは僕が怖いからではない、ま、本当は怖いが、それなりの理由がある、

仮に僕が先頭に入ると第一発見者になってしまう、第一発見者になるといろいろと手続きが面倒になる、

だから、いっそのこと警察官の方が第一発見者になったほうがいい、ということ、

玄関に入る、ん、ん、ん、何も臭いはしない、 次に襖をソッ~ と開ける、

部屋は綺麗に片付いている、部屋には誰も倒れていない、さて、次はトイレの中、

何と言ってもドアを開ける瞬間というのが一番怖い、もう、一気に開ける、 誰もいない、ホッ、

最後に風呂場である、実は風呂場で倒れるケースというのが多い、

ドアを開けた!!

アッ !!!

誰も倒れてはいない、 本来なら 「ホッ、」とするところであるが、

本音としては、「シマッタ~!!」 となる、

そう、ヘンな話、倒れていることを想定して突入しているので、

鍵を壊しているので困った、となる、

ここの住人の方が帰ってきたら玄関を開けられない、

つまり、玄関鍵は新しいものと交換して取り付けるのでその鍵を持ってない、

仕方ないので、玄関鍵を新しいものに取り替えて鍵をかけて、ドアに貼り紙をする、

「安否確認のため鍵を壊して新しい鍵になっています、新しい鍵は管理事務所に預かっているので取りに来て

ください、云々、」 と書いた紙を貼る、

ただし、管理事務所は9時30分から5時までなので、それ以外の時間では鍵を渡すことはできない、

もうそれしか方法はないのでしばらく帰ってくるのを待つことにした、

しかし、一週間ほど経過しても住人からは何の連絡もなし、

そうこうしているうちに、その住人の方の居場所が判明した、

その居場所とは、   <続く>



〇〇〇からの手紙 ③

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さて、その住人のお方の居場所とは、

なんと、神戸拘置所であった、それは、元警部(同じ職場)の方からの情報であった、

普通ならまづその居場所はわからない、

まあ、しかし、よかった、居場所がわかったのでまづはよかった、

ただ、その方が出所した時に玄関の鍵が変わっているので入れない、またいつ出所するのかもわからない、

それならばということで、玄関鍵を渡そうと神戸拘置所へ面会に行くことにした、

元警部の方が一緒に付いていってあげるよ、と仰るので同行していただくことにした、

そう、例えば客がヤクザの場合はその元警部の方に頼めば一緒に同行してくれた、

拘置所なんてまあ普通は行くことないだろう、身内が犯罪を起こすか、弁護士にでもならない限りは、

一体、どのような方なんだろう、拘置所なんて一体どのようなところなんだろう、

その神戸拘置所は神戸市北区にある、三宮からだと車で30分弱くらいの所にある、

駐車場に車を置き、ゲート横の受付で面会申請書を書いて提出して携帯電話はボックスの中に置く、

携帯電話は持ち込みできない、許可が出たら面会者用の待合所へ向かう、

その待合所へ入ってもうビックリ、 田舎の小さな駅の待合所みたいな、

売店もある、それより驚いたのは家族連れで来ている、若い女性達が小さい子供達を連れて、

しかも、受付窓口の職員と馴れ馴れしく話している、どうみても常連にしか見えない(笑)、一体どんな犯罪を

毎回繰り返しているんだ、と言いたくなる、

もういっぺんで拘置所という今までのイメージが崩れてしまった、

その窓口でもう一度面会申請書を書いて受付番号を呼ばれるまで待った、

待つこと20分くらい、番号を呼ばれたので面会室まで進む、

その部屋には2つの椅子がありそれに座るとすぐに当の本人が職員と入ってきた、

たしか面会時間は20分くらいだったと記憶しているが最初に告げられる、

もちろん、ガラス越しに話すこととなる、テレビで観るような感じ、ただし、あのように広くはない、3人入れば一

杯になるような狭い部屋であった、

部屋に入ってこられた当の本人は僕と同じく優しそうな(笑)、5歳年上のごく普通の方であった、

初めに面会に来た目的を説明して部屋の鍵を渡した、

「いろいろとご面倒をかけて申し訳ない、しかもわざわざ来ていただいて本当にありがとうございます」

「で、一体何をされたんですか?」

「はい、窃盗です、被害者の方には大変申し訳なく思っています、出所したら月賦でお返しするつもりです」

「身内の方はいらっしゃらないのですか?」

「はい、腹違いの姉が一人いますが、もう随分と長い間連絡等をとっていません」

ああ~、そうだったのか~、と納得、

「できれば今の部屋はそのまま借りておきたいのですが、家賃は口座に年金が入るので自動引き落としにし

ています」

「はいわかりました、いいですよ」 

20分くらいすぐにたってしまう、 

「はい、そろそろ時間です」 と立ち合いの職員の方に告げられる、

「今日はわざわざ来ていただいて本当にありがとうございました」と深々と頭を下げられた、

「部屋はそのままにしておきますから、いつでも帰って来て下さい」、と僕らは部屋を出たのである、

それから2週間ほどしてから会社の管理事務所の僕宛てに手紙が来た,


それは、その神戸拘置所からの手紙であった、   <続く>














当事者自身が語りたくない歴史がある、

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僕が今更言うまでもなく、いろんな業界には黒歴史というものが渦巻いている、

もちろん、模型業界も例外ではない、そう、その頃の当事者が絶対にそのことに言及しないものがある、

他人に知られたくないこと、知られたら会社の名誉にかかわること、犯罪にかかわるもの、等々、いろいろあ

る、また、思い出したくもない、絶対に語りたくもない、というものもある、

なので、それらが歴史の表舞台に出てくることはない、だから歴史が当事者達のいいように捏造されてしまう

のである、

最近そのいい事例があった、

差し支えない範囲で紹介してみよう、 今回は静岡のT社のことではない、(笑)

電話で東京のあるところに電話で問い合わせしてみた、

会話の要点だけ簡単に書いてみよう、

「突然のお電話で失礼かとは思いましたが、〇〇〇〇だということをお聞きしたものですから、ちょっと

お聞きしたいことがあってお電話させていただきました」

「マルサンの〇〇を〇〇〇になっていましたか」

「あなたはマスコミの取材の方ですか、この電話は取材ということですか」、  何か警戒されているご様子、

「いえいえ、そうではありません、私は素人で趣味としてプラモデルの歴史のことを研究している者です、

その中でマルサンのことも調べているのです」

「マルサンのことは「マルサン物語」という本がありますのでそれを読まれたらいいのではないですか」

エッ、と僕は内心驚いたが、まさか、ここで「マルサン物語」の本のことが出てくるとは、

「いえ、実はそのマルサン物語というものが捏造されて作られたものなのです、」

「エッ、どういうことですか、そのことを詳しく教えていただけませんか」

まあ説明することやく20分、すると、

「そこまでお調べになったのであれば、今から言うことを口外しないことを条件に言いますが」

「はい、口外は致しません」

「実は〇〇は〇〇〇〇の〇〇〇です」 「これ以上のことは言えません」

「では、あの有名な伝〇〇〇〇職人のお方は当然ご存じですよね、」

「エッ、どなたですか?」

「はい、今では〇〇〇工という金型作りの世界では有名な会社らしいですが、その〇〇さんです、」

「いえ、知りません」

「エッ、本当にご存じないですか」

「はい、知りません」

僕は、「・ ・ ・ ・ ・ ・ 」 言葉に詰まってしまう、そんなはずない、

う~ん、いろいろなご事情があるようで、

まあ、これらの会話からいろいろなことを適当に想像して下さい、僕も口外しないことを約束したのでこれ以上

のことは言えません。


※ 真実のプラスチックモデルの歴史の件については来年に某出版社からそのことが掲載されることになっ

  ていることはすでに紹介した、もちろん素人の僕は執筆しない、やっぱりプロの方にお任せしたほうが

  いいに決まっている、そのスジの業界では第一人者のお方にお任せしている、もちろん古いプラモデルに

  関心のあるお方であれば誰でも知っているお方である、ただ、言うまでもなくそれが出版されると非常に

 都合の悪いお方などが存在していることも事実、何と言っても評判のよろしくないド素人が調べ上げたもの

 だから、それらのお方にとってはご自分のお株を奪われるから、また模型業界にとっても非常に都合が悪

 い、つまり、それらの方々の出版妨害工作があるということ、まあ、とっくに個人的にはその妨害工作はす

 でに始められている、これからも露骨な妨害工作があるかもしれない、あるだろう。

 




拘置所からの手紙④

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それは、神戸拘置所からの手紙であった、

封筒の裏を見ると、住所は書いてない、 「神戸拘置所 〇〇〇〇 」と書いてある、

アッ、あのお方からだ、 拘置所から手紙が来るなんて生まれて初めてのことであった、

封筒の中には便せんが1枚、

内容は、面会へのお礼、自分が罪を犯したことへの反省、であった、

おそらく誰も面会に来てくれる人などいなかったのだろう、誰一人として友人、仲間達もいなかったのだろう、よ

ど嬉しかったのだろう、

後日、担当弁護士の方から連絡があった、部屋はそのまま契約しておいて欲しい、郵便ポストの中を確認して

欲しい、何か郵便が来ていればそれを送って欲しい、等の内容であった、

弁護士の方の話では、「決して悪人ではなく根は優しい人なんです、孤独な人生で寂しかったのでしょう、面会

に行っていただいて、非常に喜んでおりました」 とのこと、

その後、僕はたまに郵便ポストの中を覗いては何か郵便が溜まっていたらそれを弁護士事務所のほうに送っ

てあげたのである、年金振込通知書やら自動引き落としの通知書等の郵便である、

そう、弁護士さんは銀行口座までちゃんと管理するらしい、そこまでやるとは知らなかった、

おそらく、生活に困って窃盗をはたらいたのではないのだろう、なぜなら厚生年金が入るので困っていたわけ

ではない、その罪は決して許されることではないが、孤独感から情緒不安定になってしまったのだろう、

それから数か月経った頃、今度は大阪の拘置所から手紙が来た、

封筒の裏を見ると、 「大阪拘置所 〇〇〇〇」となっている、あのお方からであった、

内容は、今は移送されて大阪拘置所にいます、刑期は1年6か月となりました、いろいろお世話になっている

ことは弁護士さんから聞いております、刑期を終え出所したらもう過ちは犯しません、等々の内容であった、

それから数か月後、僕は退職した、もうあれから5年経った、ひょっとしたら、その後も手紙が来たかもしれな

い、 「刑期を終え、近いうちに出所します、」 と、

おそらく、今はあの部屋に帰られていることだろう、再び罪を犯されないことを信じるのみである。







木製模型 原子力潜水艦ノーチラス号

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ノーチラス号の木製模型時代の頃もいろいろなメーカーから発売された、

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これもその中の一つ、

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いつ発売されたのか、それを具体的に特定するのは難しい、

あと単純に考えると、箱絵には北極海?の氷山の所を浮上して航行しているのでその頃のニュース後のもの

かとも考えるが、なんとも言えない、

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ただ、この頃の木製模型のものにはちゃんとメーカー名が記載されていないものが多い、

このように、東京科学模型教材協同組合指定、どこのメーカー製なのか記載されていない、

古いカタログ等の資料等で確認するにもほとんど載ってないので不明である。

モデラーズフェスティバル出展

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11月4日、5日、は大阪南港ATCで「モデラーズフェスティバル2017」が開催される、
                   http://modefes.tumblr.com/

去年同様、我が「模型探偵団」も出展!! 静岡とは違って大阪はまだ出展拒否はされていない(笑)、

そう、東京から静岡までは陰謀がはたらいているが、大阪はまだ大丈夫、

もちろん、去年同様、大サービスも計画しているのでぜひご来場あれ!!

バンダイ1/24 M-60戦車

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これは、バンダイの1/24 M-60戦車、組み立ててみたいが、完成させたらその保管場所に困ってしまうの

でキットの紹介だけにしておこう、このとおり箱も少々デカイ、

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キャタピラはコマを一つ一つ繋いで組み上げるもの、

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何と言っても、ギアボックスが金属製なのがいい、プラギアみたいにスカスカになったり、割れたりしない、

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このリモコンは接触具合はどうなんだろう、スティックでカチッ、カチッ、と決まるのだろうか、

そうそう、たしかこのスティックタイプのリモコンは「リモコンZ」として別売りもされていた、

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リモコンにするとこの説明図のように12通りの動きが楽しめる、

さてさて、この戦車プラモ、どなたか組み立てて動かした方はいらっしゃるだろうか。

クラウン M-46パットン戦車

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ニチモのM-46パットン戦車はアメリカ レムコ社のブルドッグ戦車をパクったものであることはすでに紹介し
ている、また、そのニチモのやつをパクったのがクラウンモデルのM-46パットン戦車であった、

ニチモは外観から構造まで忠実にレムコ社のものをパクっているが、クラウンはそうではない、


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まあパクったとは言っても、それは外観のみ、

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大きさは一回り小さい、

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ギアボックスもまったくニチモとは構造も違う、

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砲弾発射装置もまったく違う、

ニチモのパットン戦車とは比較にならないほど貧弱な作りとなっている。

昭和32年 ニチモはソニー号を、

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ニチモは昭和34年3月(2月ではなく正確には3月11日)にプラスチックモデル伊号潜水艦を発売したが、

実はその2年前にはプラスチック模型のソニー号を発売していることは過去の記事でも紹介したと記憶してい

る、ソニー号とは言ってもあのプラモデルキットのソニー号ではない、

正確にはプラスチック模型玩具とでも言ったほうがいいだろう、昭和32年のことであった、

昭和32年といえば、日本プラスチックが原子力潜水艦ノーチラス号を発売した年である、

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             (増山栄寿とブンカの50年 平成6年3月4日出版 非売品)


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そのことは、ちゃんとここにも書かれている、

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そのソニー号の現物は持ってないが、その広告が懸賞品として載っている、

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実は、僕も小学校低学年の頃このようなプラスチック製のヘリコプターを飛ばして遊んだ記憶がある、

はたしてそれがこのニチモ製のソニー号だったのかどうかは断定はできないが、おそらくニチモのこのソニー

号だった可能性が高い、そう、他には考えられない。


オリンピック号

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3年後には東京オリンピックであるが最近はその進捗状況がどうなっているのかまったく報道がない、

まあテレビを観ていても芸能ニュースやらのクダラナイものばかりやって、そのコメンテイターも2流、3流タレ

ント達が好き勝手なことを言ってもう観てられない、もうマスゴミの劣化ぶりは目を覆うばかりとなっている、

特に朝日などは言葉狩りだけに集中し他の大事なことをまったく報道していない、そう、日本にとって重要なこ

とはまったく報道しない、日本を貶めることばかり報道している、

僕は言ってないが、世間では、「テロ朝」と呼んでいるらしい、

噂では模型業界にもその工作員がいるらしいが、(笑)

その東京オリンピックもちゃんと開催できるのかどうか僕としては心配になってきた、そう、世界の状況が段々

とキナ臭くなってきた、戦前の幻の東京オリンピックとならなければいいがと不安になってきた、

ところで昭和39年には東京オリンピックが開催されたが、その招致記念として発売されたものにライトプレー

ンがあった、


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              ( 増山栄寿とブンカの50年 平成6年3月4日出版 非売品)

井田さんという方はあの北九州で模型店を開業され、モデルアート社を創業なさった方である、

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その東京オリンピックの招致記念として発売されたオリンピック号というのがこのライトプレーン、

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井田さんはこのライトプレーンを設計された、

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北川さんはブンカの社長さん、

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この中には抽選券が入っている、

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さて、当選商品は何だったのか気になるが不明である。

イマイのハイシールを試してみた、

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今井科学のイマイハイシールを試してみた、

まあ絶対にダメだろうと思いながらも、いや、ひょっとしたらと、試してみた、

そう、一応念のために試してみた、


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切り抜いて、水に漬けてみて、そうちょっと長めに3分くらい水に漬けて、

そうしたらヌルっと台紙から見事にスライドして、

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見事にそのまま貼り付けることができた、ひび割れ等もまったくない、

やっぱり試してみるということは必要なことなのだろうか。

ブリキ玩具のホバークラフト

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ホバークラフトで今まで作ったものではすでに今井科学の、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/68994378.html

それと、三和模型の、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71252854.html があった、

今回はブリキ玩具のホバークラフトである、

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ブリキ玩具とは言っても本体はアルミニウム製でリモコンがブリキ製である、

動かないので本体を分解してみた、

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モーターが固まって回転しないので、軸受け部分に潤滑剤を吹き付け、プロペラのひねりの角度を調整、

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プロペラが回転の際にボディーに当たらないように調整して取り付ける、

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底板を取り付けて、そう、風は真下には吹き付けない、これでちゃんと浮き上がるのだろうか、

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ブリキのリモコンボックスの金具の接触具合も調整して、

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単1電池3本を使用する、なんとか収納できた、

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さてさて、ちゃんと浮き上がって前進するだろうか、   <続く>

レベルのM4シャーマン戦車

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僕は舶来物のプラモデルにはまったく興味はない、

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昨日、模型店で「コレ持ってけ~」と仰るのでいただいてきた、まあタダでいただけるのならと持って帰ってき

た、とにかく僕は学がないので英語も読めない、

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読めるのは1971年、メイドインUSA,この2つだけ、

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1/40スケール、これはわかる、

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これもわかる、このシリーズがあるということだろう、

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舶来物はこのように部品がバラバラにゴソッと入っている、

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日本語は一つも入ってない、

まあ、昭和40年代中期頃のレベルの製品だということはわかるが、このキットの詳しいことはまったくわからな

い、

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ついでに、これもいただいてきた、

これは日本語で書いてあるのでわかる、レベルの1/144 ミニシリーズのアメリカ機セットだろう、

まあ説明しなくても箱にそう書いてある、

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中にはアメリカ機が4個入っている、おそらく昭和48年頃の製品だろう、

レベル社のキットに興味がある方にとっては懐かしいものかもしれない。
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