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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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和工もついでにやってみるか、

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マルサン物語についてはいずれその嘘の定説に終止符を打たなければならないだろう、

そして、和工についてもこのまま永遠に謎のままにしておくわけにはいかないだろう、

なんとか手がかりだけでも掴みたい、もちろん、日本プラスチックのことも完全に終了したわけでもない、

まだまだ細かいことを調べなくてはならない、

マルサンはなぜ和工というメーカーのことについては口を閉ざし続けたのだろうか、何度も言うように何かマル

ンにとっては非常に都合の悪い事実があったことは間違いないだろう、

マルサンは日本プラスチックのことも当初から知っていたと思われる、日本プラスチックがゼロ戦を売り込みし

ていた頃からノーチラス号を発売していたことも、普通に考えてもそうだろう、ノーチラス号は東京の三ツ星商

店で取り扱って流通していたわけだから、同じ玩具模型業界の中にいて知らないはずがない、

日本プラスチックと和工はなぜか似ている、

何が似ているかといえば当時の電話番号簿には記載されていない、日本プラスチックもそうだった、

和工樹脂の住所,電話番号をもう一度確認すると、

〇 本社の住所  東京都千代田区淡路町1-9   電話 29-6864

〇 工場      東京都練馬区南町4-6265   電話99-2132

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この昭和34年3月現在の職業別電話番号簿でみても和工というそれらしき会社は載ってない、

そう、合成樹脂、玩具、模型欄には載ってない、

それではと、全部の頁を数日かけてめくってみて調べたがそれらしき会社は載ってない、

ひょっとしたら見落としがあるかもしれないが、まあ僕が見たのでそれはないだろう、

日本プラスチックの時もそうだった、電話番号簿には載ってなかった、

さてさて、次の手は、  <続く>








和工の追跡は、

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和工樹脂の追跡はかなりやっかいなものになるだろう、

㈱和工が正しいのか、和工樹脂㈱が正しいのか、

何といっても住所と電話番号しか今のところわかっていない、しかもその舞台は東京である、そして、僕は明石

にいる、さて、60年前に遡ってどうやって追跡していくか、タイムマシンでもあれば別だが、

本件の場合、まずやらなければならないのは登記簿謄本をとることである、そう、和工㈱の、

登記簿謄本がとれればシメタもの、社長やら取締役のつまり関わった方々の名前が判明する、

しかし、登記簿謄本をとるといっても60年前のものをとるとなるとそう簡単なことではない、

日本プラスチックの場合はたまたま運がよかっただけ、

まず、和工㈱という会社がちゃんと正式に商業登記していたかも不明である、昔は商業登記していないただ勝

手に会社名だけを作っていた事例が多くある、

今では考えられないが、昔は銀行の普通口座を開設する場合でも本人確認する必要はなかった、

だから、架空名義でも開設できた、極端にいうと猫の名前でも犬の名前でも作れた、

そう、山田ポチ、山田ランラン、でも作れた、

つまり、顧客の要望通りの名前で開設できた、しかも、定期預金など「無記名定期」などというものもあった、

つまり自分が決めた会社名で普通口座を開設することができたのである、(もちろん、当座勘定はダメ、当座

預金は小切手、約手を振りだすという与信、つまり法律行為が発生するのでちゃんと登記していないと開設は

不可能)

話を和工に戻して、仮に和工が会社登記をしていなければ謄本はとれない、ということは誰が社長だったのか

誰が取締役だったのかメンバーがわからない、そう、なんにもわからないということである、

そしてもう一つ難関がある、和工がちゃんと会社登記をしていたとしよう、

しかし、何といっても60年も前に閉鎖している会社の登記簿謄本である、閉鎖済みの謄本を法務局の職員が

うまく探し出してくれるかどうかわからない、おそらく書庫の奥の奥に眠っていることだろう、そりゃあ探し出す

のも大変、探すのが面倒だから、「探しましたが60年も前の書類なの見当たりません」といいかねない、

つまり、登記簿謄本がとれる確率は極めて低いということ、

和工の場合は住所が千代田区になっているので仮に会社登記していたとするならば、現在の九段にある東京

法務局に謄本は保管してあるはず、まあ、すぐに東京には行けないので行った時にでも立ち寄ってみよう、

繰り返すが、追跡の出発点は登記簿謄本をとることであるがそれは今のところできないので他の方法から始

めることとなる、

それで前の記事にも書いたように当時の電話番号簿で和工らしき会社名が記載されていないか調べたので

ある、しかし、電話番号簿にそれらしき会社は記載されていなかった、

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前記事でも紹介したように、この昭和34年3月の職業別電話番号簿には「和工」らしき会社名は記載されてい

なかった、せっかく電話番号簿があるので再度あの伝説でも何でもない金型職人のお方の嘘の証言を証明し

よう、その金型職人のお方の証言では、レベル社のノーチラス号を見た時にプラスチックという素材自体を初

めて見たようなことを証言されている、「これは、一体なんだ!!」と、プラスチック素材というものを初めてみ

たと、当然のことながらプラスチックの射出成型機なども日本には存在していなかったと、

ハッキリ言って、あの金型職人のお方の証言は全てが嘘と思っていい、全てが嘘で捏造していると思ってい

い、この昭和34年3月の電話番号簿を見てみると、

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これ以上画像は載せられない、合成樹脂欄だけでも20ページ以上にわたっているので、

射出機も成型機もとっくの昔に存在している、

もっとさかのぼって昭和29年の電話番号簿を見てみると、


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もうこの頃にもすでに射出成型機なるものは存在してメーカーも数えきれないほど存在していた、

これだけでも、あの金型職人のお方の言っていることがほとんどが嘘だったことがおわかりだろう、

また玩具業界もこの頃にはブリキからプラスチックへと素材を変更している時であった、そう、セルロイド事件

のこともあったからである、

実際にプラスチック製のピストルや「ままごとセット」、等の玩具を発売していた、マルサンもそう、

何をトボケテいるのか、あの金型職人のお方は、マスメディア等で嘘の歴史を垂れ流ししてもらっては非常に

困る、いい加減にしてほしい、当時のプラスチックの歴史の生き証人なのだから本当の真実のことを伝えなけ

ればならない、まさに嘘の歴史を作り上げてそれをビジネスにしてしまったその責任は大きい、

当時のそのような業界の流れで日本プラスチックの濱田さんがプラスチックモデルというものに目を付けたの

は当然のことだったのだろう、おそらく、他にもプラスチックモデルというものに目を付けられていた方は多かっ

たのではないだろうか、

そこで話を戻して、

職業別の電話番号簿にないとすれば、おそらく50音順の電話番号簿なら載っているかもしれない、

そう、職業別は一般の個人は載ってないから、50音順なら全ての契約者の電話番号が載っているだろう、

実は職業別に載ってないことは逆に言うと僕にとっては都合がいい、なぜなら職業別に仮に載っていたとして

もそれは何の役にもたたない、会社名、住所、電話番号しか載ってないので、

50音順だと個人名がわかる、誰の電話番号なのかがわかる、

そこで、またまた登場するのが、

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そう、この昭和33年7月の電話番号簿である、これなら全ての契約者の電話番号が記載されている、

これで探せばおそらく、

〇 本社の住所  東京都千代田区淡路町1-9   電話 29-6864

〇 工場      東京都練馬区南町4-6265   電話99-2132

この、29-6864   99-2132 の番号が誰の名義なのか判明するだろう、

まあしかし、全頁をめくって調べるのが大変、日本プラスチックの時もそうだったがとにかく目が疲れる、

そして絶対に見落としてはならない、昨日から1行1行チェックを始めた、まあ2週間はかかるだろう、

記載されていることを願ってやってみよう、只今作業中、

それから、会社の住所、これは昔の住居表示なので当然どのあたりなのかわからない、また住宅地図は昭和

40年代からなので当時の住宅地図も存在しない、しかもその昭和40年代の住宅地図は住居表示が変更さ

れた後なのでそれを見ただけではわからない、実は昭和37年に大幅に住居表示変更がなされている、

しかし、その昭和34年当時のその場所をピンポイントに近い状態で特定することは可能である、

                                                       <続く>



和工の場所は、

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〇 本社の住所  東京都千代田区淡路町1-9   電話 29-6864

〇 工場      東京都練馬区南町4-6265   電話99-2132

この電話番号が誰の名義になっているのか当時の電話番号簿で調べている、

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昨日までにやっと2割くらいまでやったがまだ見つからない、はたして載っているだろうか、

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その番号に近いものはある、この、99-2136  惜しい4番違い、

局番の99は当時は練馬区に割り当てられていたようである、99は全て練馬区になっている、

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これも惜しい、たったの2番違い、これも29局は千代田区に割り当てられていたようである、

今日も1行1行確認作業を行う、あと6日くらいはかかるかも、

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さて並行して「和工」がどこにあったのかそれも特定しなければならない、

もちろん、大体の場所ではなくそれこそ数メートルの誤差もなくピンポイントで、

東京の昭和30年代の住宅地図は存在しない、ゼンリンも昭和40年代に入ってから、

東京の国会図書館のサイトで検索してみたが昭和40年代の住宅地図はない、昭和50年代に入ってからの

ものしかない、まあそれでは大きく町も変わっているが少しくらいの参考にはなるだろうが、

そこで、大体の場所を掴むために用意したのが東京の都市計画図である、

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昭和36年の都市計画図、ネットで調べてみると昭和37年には東京では住居表示変更があったらしい、

この地図はその前のものなので役に立った、

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千代田区の全体図、さて、当時の淡路町1丁目は、

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淡路町1丁目は鉛筆で指しているところ、1の区画である、割と狭い、

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そして、練馬区は、

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練馬区南町4丁目は、練馬駅の北側、

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6265番地は鉛筆が指している当たり、

次は今ではどのあたりになるのか現在の地図でみてみよう、   <続く>

和工の場所は、

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〇 本社の住所  東京都千代田区淡路町1-9   電話 29-6864

この住所は現在ではどの当たりになるのだろうか、

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これは昭和36年当時、

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現在はこの区画、

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その区画を拡大すると、鉛筆が指してるあたり、

〇 工場      東京都練馬区南町4-6265   電話99-2132

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これは、昭和36年当時、

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これは、現在の地図、

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鉛筆で指している当たりがその場所、

ピンポイントでその場所を特定するためにその作業も並行して行っている、

さて、電話番号簿のほうは、まだまだ見つからない、

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惜しい!! 僅か1番違い、住所も近い、

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進捗状況はやっと3割弱くらい、あと4、5日はかかるだろう、 <続く>


㈱和工、和工樹脂㈱

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電話番号簿はやっと1/3くらい、まだまだ、あと2/3残っている、まだ見つからない、

ところで、和工にはその社名も「㈱和工」と、「和工樹脂㈱」、そして、三ツ星商店の広告には和光と表示されて

いるものもある、これも謎といえば謎であろう、

もちろん、電話番号簿にはそれらしき会社は載ってない、


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この電話番号簿では和工の工を使った会社はわずか3社、

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ほとんどが光を使っている、 ここに怪しい会社名で和光プラスチック㈱とあるが、これは住所も電話番号も違

っている、

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当時は工を使ったものはほとんどない、ほとんどが光を使っている、

まあ、それはいいとして、

〇 本社の住所  東京都千代田区淡路町1-9   電話 29-6864

〇 工場      東京都練馬区南町4-6265   電話99-2132

なんとか電話番号簿でこの電話番号は一体誰の名義になっているのか見つけたい、

ただ、その電話番号を探しているだけではない、並行してピンポイントでその場所を特定したい、

当時の工場のあった練馬区南町4-6265 の隣に住んでいた方の氏名も特定した、まあ、当然のことながら

今はその家族の方も住んではいらっしゃらないだろうが、     <続く>



電話番号簿はあと半分

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電話番号簿のチェックはあと半分となった、まだまだ見つからない、はたして載っているだろうか、

絶対に載っているはずだが、

それと併せて練馬区南町4-6265 の場所をピンポイントで特定するための作業も行っている、

当時その両隣に住んでおられた方の氏名も特定した、もちろん、その周辺の方々についても商店やら氏名等

も特定しつつある、そう、当時の住宅地図を自作してみようと思っている、

当時の住宅地図は国会図書館には所蔵してないようで、先日教えていただいた「火保図」や地域の住宅地図

みたいなものは区立の図書館で保管してあるらしい、ただ、その該当地区が載っているかどうかは実際に図

書館へ行って確認しないとわからない、ただ、すぐには東京へは行けないので、とりあえずは自作の地図を作

ってそれと照らし合わせてみるといいだろう、   そう、追跡調査はまず現場の確認から始まる  <続く>

見っけた!!、練馬の電話、

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見っけた!! 練馬の電話番号の契約者を、

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そう、練馬区南町4-6265  電話番号 99-2132

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        (この画像は猫が洞さんからお借りした画像)http://orange.ap.teacup.com/nekogahoraki43/731.html

この工場の電話番号の契約名義が誰なのか、

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そう、ここに探し当てた、もちろん、個人名義、しかし、まったく知らない方、

推測できることは、おそらくここに機械類等を持ち込んで作っていたのだろう、

万が一今もそのご家族が住んでいらっしゃるといけないので、そのお名前を今ここで公開することはできな

い、

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あとは千代田区の淡路町の電話番号を探し当てないといけない、やっと半分超終わった、あとコレだけ、

載っているだろうか、いや絶対に載っているはず、一体誰の電話番号なのだろうか、 

これが判明すると追跡は大きく前進する  <続く>








まだ見つからないが、

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まだ今のところ東京淡路町の電話番号は見つかっていない、あと残すはコレだけ、

ところで、練馬区の工場の場所は、〇 幸太郎さんというお宅になっている、

その場所で機械類等を持ち込んでダットサン等のプラモデルを作っていたのは間違いないだろう、

〇 幸太郎さんといってもまったく僕は知らない、一体どのようなお方なのだろうか、

まづ、その場所をピンポイントで特定したい、まさかまだそこにご家族が住んでいらっしゃることはないだろう、

東京の図書館へ行けばひょっとしたらその古い地図が残っているかも知れないが、まだすぐには行けないの

でその前に特定させたい、練馬区の住宅地図で昭和40年代の地図は古書店にもほとんど在庫がないらし

い、ほとんどが昭和50年代後期以降のものである、とりあえずはその地図を只今取り寄せ中、

現在の住宅地図があれば当時のその〇 幸太郎さんの場所もピンポイントで特定はできる、

まづは電話番号簿で東京淡路町の電話を見つけ出さなければ、    <続く>

「〇 幸太郎」さんという、

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東京淡路町の電話番号はまだ見つからない、残るはあとコレだけ、

ところで、練馬区の電話番号の「〇 幸太郎」さんというお方、一体どのようなお方だったのだろうか、

職業等も今のところ何もわからない、


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一番怪しいのは模型関係であるが、この昭和34年当時の名簿にも載ってない、

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「和工樹脂㈱」も載っているが、住所だけで電話番号、代表者名も記載されていない、

「〇 幸太郎」さんの職業は何だったのだろうか、サラリーマンではないだろう、

時間はかかるがそれを調べる方法は残っている、       <続く>

今、その場所はマンションが、

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「和工樹脂」の工場、つまり「〇 孝太郎」さんの当時の場所をピンポイントで特定した、


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練馬駅から北へ歩いても20分ちょっとくらいだろう、実は平成元年まで僕は練馬駅前の支店で3年ほど勤務

していた、

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その場所はココ、  今はマンションが建っている、

ところで、電話番号簿は全部見終わった、しかし見落としてしまったのだろう、東京淡路の電話番号を見つけ

ることができなかった、だから、もう一度見直そうと思っている、

実は電話番号簿で練馬の電話番号、東京淡路の電話番号、それとこの当時の場所を特定するための作業を

同時にやっていたので見落としてしまったのだろう、

電話番号簿があれば当時の場所も特定できる、ただ、それも結構大変な作業となったが今回やってみた、

20年前の練馬区の住宅地図で確認すると現在とほとんど同じなので、それよりももっと以前に引っ越しか立

ち退きされたのだろう、  また電話番号簿の見直しを始めることとなる。

ニチモの伊号潜水艦の重りを、

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ニチモの伊号潜水艦は昭和34年3月11日に発売され、その後昭和50年頃も発売されていたロングセラー

のプラモデルであったことは以前の記事にも書いたとおりである、価格もそのまま100円であった、

発売された当時は爆発的な売れ行きを示し、今なお時々ネット等で市場に出回っている、


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マルサンとはまったく違ってその開発には模型飛行機メーカーらしく真面目に取り組んだのだろう、

そのためにマルサンよりはたったの3か月遅れの発売となってしまった、

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設計図の35055という番号はこの昭和33年に出願した時の番号である、

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ところが、このようになぜか必ずといっていいほど欠落しているものがある、

そう、重りである、

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潜航舵も片方が欠落していたりと、完全なものはあまり見かけない、

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それならばと、重りを作ってみよう、      <続く>

「〇 孝太郎」さんを追跡するには、

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「〇 孝太郎」さんの当時の場所は特定したが今はそこはマンションになっている、

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どうやって特定したかというと、実はリストアップした、

そう、電話番号簿でその近辺の住所の方々を全てリストアップした、全部で700名くらいになったが、

まあリストアップするのは結果的には練馬区南4丁目だけでよかったが、3、5丁目までやってしまったので、


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そして、この20年前の練馬区の住宅地図で当てはめていった、ところがこの住宅地図がポケットサイズなの

で字が超小さく住民の方の名前がよく読めない、虫メガネで見ないとよくわからない、ネットで検索していたらこ

れが800円で売っていたのでこれを取り寄せた、こんなに小さいとは、

まあとにかく、虫メガネで見ていたら当時の施設、会社、住人の方の名前が数件あったのでそれを起点にして

リストアップした住所の番地等を当てはめながら特定したという次第である、

さて、「〇 孝太郎」さんはどこへ引っ越し?されたのだろうか、

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ここでその〇さんのフルネームを載せるのはいかがなものか、と思うが、

総合的?に判断して60年前のことでもあり、個人情報についてもそんなに問題は発生しないとは思うが、

やっぱり、今ここでは公表するのはやめておこう、

さて、その「〇 孝太郎」さんはその後どこへ、 追跡する方法はまだ残っている、

そう、またまた電話番号簿である、

氏名は判明しているので、昭和40年代、50年代の電話番号簿(50音順)を見ればすぐにわかるだろう、

ただし、東京都区内に移動されたと仮定した場合である、それ以外の地域に移動された場合はもう追跡は無

理、それは、東京の図書館に行って調べなければわからない、春になったら行ってみよう、

さて、それから東京淡路町の電話番号も見つけなければ、   <続く>

「肉弾戦車隊長 安らかなれ!!」

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実は、このタミヤのベビートラックは十川さんがレストアされたものである、

そう、あの「東京AFVの会」の十川俊一郎さんである、

その十川さんが亡くなられた、僕は十川さんとは一度もお会いしたことがない、

しかし、そのご活躍ぶりはいろいろな方面からお聞きしていた、

日本を代表するミリタリーマニア集団、「東京AFVの会」の代表としてAFV模型の世界に大きく貢献されてこら

れたことはお聞きしていた、一度はお会いしてみたいお方であった、

つい最近も模型雑誌でそのご活躍ぶりを拝見したばかりであった、数年前から闘病生活をしながら精力的に

活動されていたこともお聞きしていた、まさか急にお亡くなりになるとは、

実は、僕のこのブログも「にくだん」というニックネームでお気に入りに登録していただきご覧になっておられ

た、一度はお会いしてみたいお方であった、

「肉弾戦車隊長、安らかなれ!」


ニチモの伊号潜水艦の重りを、

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まづは、この鉛の重りを切断して、

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そう、このように2つに切断して、瞬間接着剤でくっ付ける、

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それをこのように、ヤスリで削って形を整える、真ん中あたりに穴を開けtる、

次に、針金を用意して、

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その針金をこのように折り曲げて完成、  <続く>

ニチモ 伊号潜水艦 修復完成

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重りとスクリューを取り付けて、

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鉛の重りを船底に付けるのではなく、このように吊り下げる方式にしたのは重心をぐっと下にやり船体の安定

性を増すためだろう、

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これで完成、

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水に浮かべてみた、重心が下にあるので船体の安定性が抜群、絶対に横倒しにはならない、

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潜航させる時はこの詮を抜き船内に水を入れるようになっている、

浴槽では狭くてテストできないので、また夏になったら大蔵海岸で走らせてみようと思っている。

今度はもう一冊の電話番号簿で、

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〇 本社の住所  東京都千代田区淡路町1-9   電話 29-6864

この、29-6864 という電話番号は見つけることができなかった、

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そう、この昭和33年7月現在の電話番号簿では見つけることができなかった、2度も見直したのでまず見落と

しはないだろう、  

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この「部品依頼券」なるものを見て、

そこで、ある仮説を立てるというか、妄想というか、推理をしてみた、


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それならばと、もう一冊の手持ちの電話番号簿の昭和31年7月現在のもので調べてみよう、

また5日間くらいはかかるだろう、 ふう~、

これに載ってなかったらそれは僕のタダの妄想となる、

もし、これに載っていたらその仮説は正しいということになるが、  <続く>

ライトプレーンの当てくじ

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昔、駄菓子屋でクジを引いてライトプレーンを当てるものがあった、

そう、このようなものが吊り下げてあった、このようなものを懐かしいと思うのは60歳台以降の方だろう、

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ただ、このような当てくじのライトプレーンは小さすぎてほとんど飛ばなかった、

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機首に鉛の重しを付けたグライダーは思いっきり投げるとよく飛んだが、それには投げ方のコツが必要であっ

た、もう、あれから60年近くこのようなグライダーは投げたことはない、

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この3等の物はたしか輪ゴムで飛ばしたような記憶がある、

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たしか、このクジを引いて水に漬けると「当たり」「ハズレ」が浮き出てきたと記憶している、いや口で舐めてい

た、プラモデルが世に普及する前の僕が小学1、2年生の頃だったと記憶している。

日東科学 パーソナル キャリア バトル

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日東科学の「パーソナル キャリア バトル」、これを組み立てて走らせてみよう、

前輪で左右に方向を変えられ、登坂力は抜群、機銃は手動で上下左右に動かせる、とある、


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箱を開けて真っ先に気になるのがゴムキャタピラだろう、

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ほとんど劣化はないものの、ネジレの癖が付いて真っすぐに戻らない、

まあ、なんとかいけるだろう、

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この説明図がいい、昔風の手書き風の絵の感じがいい、

アッ、マブチFA-13モーターの手持ちがない、買ってこなくては、      <続く>

相原模型 対空自走砲ハーフトラック  http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69510571.html

昭和31年の電話番号簿で

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今、昭和31年7月現在の電話番号簿で調べている、

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まだまだ、コレだけ、絶対に見落としたらいけないので慌てずにやっている、

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もちろん、この電話番号簿にも「〇 孝太郎」さんの電話番号は載っている、

もう絶対に東京淡路町の29-6864 の番号も載っているはず、


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29-6866 たったの2番違い、つまり29-6864という電話番号も誰かが使用していたはず、

                                                      <続く>

ラインマー社 キャノン砲

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これは、アメリカのラインマー社のプラスチック製のキャノン砲、ただいつ発売したのかそれを特定することは

できない、

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ラインマー社といえば、このようなブリキ電動玩具だけかと思っていたが、プラスチック製のこのような玩具も
                 http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70267124.html
発売していたらしい、

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おそらく、日本のどこかのメーカーに作らせたものだろう、ただどこが製造したのかはわからない、

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砲弾を発射させることができる、

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砲身は上下にも左右にも動かない、一体成型されている、

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砲弾を装填して引き金を下すと発射する、

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これによく似たプラモデルがオダカ模型の「105ミリキャノン砲」である、

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このオダカ模型のキャノン砲のほうが断然作りがいい、もちろん砲弾も発射できる、

そして、砲身は上下には動かないが左右に動く、脚も左右に動かせる、

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そしてもう一つが、オリエンタル模型の「対戦車砲」である、

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これも砲弾発射、砲身は左右には動かせないが上下には動かすことができる、

子供の頃は将棋の駒を畳の上に並べ、このオリエンタル模型の対戦車砲で撃って駒を倒して遊んだ記憶が残

っている、
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