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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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オイル補充、煙り出し

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さてさて、オイルを補充した結果は、


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単3電池4本を装填して、2本はモーター用、もう2本が煙り出し装置に繋がっている、


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オイルを補充した効果はあったが、まだこの程度では走っている場合は煙を出しているのかどう

かよく見えないだろう、しかし、これがいまのところ限界である、

今度、煙だし装置を自作してバァーっと出したいと思っている。

マルイ ウォーキングメイト コーラ

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マルイのプラモを初めて作ってみた、

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そう、生まれて初めてマルイのプラモを作ってみた、作ってみたのはこの「ウォーキングメイト コ

ーラ」というヘンなプラモである、

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いろいろな種類があったらしい、もちろんこのようなプラモは僕の趣味には合わない、

まあ、気晴らしに作ってみた、

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部品も少ないので10分もあれば出来上がってしまう、

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接着剤もいらない、パチンとはめこむだけ、

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最後はコーラのシールを貼れば出来上がり、

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ゼンマイを巻いて歩かせる、

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それでは、動画をどうぞ。


明日は東京へ、

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さあ明日はいよいよ東京への取材である、

取材先はここ、http://www.os-kougyo.jp/publics/index/2 OS工業(株)

(株)日本プラスチックス、ハマライト化学研究所をルーツとする会社である、

そう、濱田兄弟が創業した会社である、

もちろん、模型メーカーとも取引はある、しかし、今もこの会社が日本で初めてプラスチックモデル

を開発した会社がルーツであることは知られていない、それもそのはず、現社長さんもそのことは

ご存じではなかった、それは、濱田兄弟は生前そのようなことは一切話されることはなかったとい

う、明日は、最後の生き証人のお方にもお会いして濱田兄弟のことをお聞きすることになってい

る、おそらく、いろいろなことが判明することだろう。



本日は休み、

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今日は一番列車で東京への取材のため、ブログは休み。

昨日は日帰りで取材に、

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昨日は日帰りで取材に行ってきた、

もちろん、取材先は「OS工業(株)」http://www.os-kougyo.jp/publics/index/2

それから、関連会社でこのホームページも      http://www.os-kougyo.co.jp

そう、今さら言うまでもなく、濱田貞雄さんが創業なさった会社である、

まさに濱田貞雄さんの精神と技術が脈々と受け継がれている会社である、

いろいろな装置、機械類も見学させていただいた、射出機なるものも目の前で初めて見た、

そして、日本プラスチック時代、ハマライト時代のこともお聞きすることが出来た、

実はすっかり勘違いをおこしていた、貞雄さんのお姉さまと勘違いをしていたのである、5歳年上

とお聞きしていたのでもうてっきりお姉さまと勘違いをしていたが、実は貞雄さんの奥様であった、

つまり、姉さん女房ということである、もちろん数年前までは社長、現在は会長である、

90歳と高齢であるが、まだまだお元気で記憶力も抜群で、いろいろとまだお聞きしたいことは沢

山あったが、日帰りの関係があるのでまたお会いすることを約束していただいた、

お聞きしたことの大部分は企業秘密的なことを含んでいるので、ここで公表することはできない、

どうしても知りたい方は、僕が直接コソッと教えてあげるのでどうぞ、そう、衝撃的なことを、

そこで、差しさわりのない程度で簡単に今までの経緯を修正しまとめてみよう、

○ 濱田さんの両親は戦前に布施市(現東大阪市)に「東京堂模型店」を開業
   小坂駅南側徒歩5分ほどの場所、(現在その場所はシューズ店になっている)

〇 濱田兄弟(貞雄、亨)とその仲間達5、6人は昭和28年頃から、布施駅近くの(資)大阪化学研

  究所に機械類を持ち込んでプラスチックモデルの開発に取り組み始めた、

  その技術指導には大阪化学研究所代表者の内田義勇さん(1890年生)で、濱田さんらは 

  内田さんを「先生」と呼んで技術指導を受けていた、内田義勇さんは今の阪大(応用化学専攻)

  卒で帝国人絹(帝人)と提携しビスコのキャップ(溶剤容器のノズル)を製造していた、

〇 その技術指導を行っていた内田義勇さんが昭和30年の夏に亡くなられた、
   
   おそらく、この頃までには濱田さんらはプラスチック関連の技術等に関してはほぼ習得して
   
   いたものと思われる、

〇 その内田さんの息子の彰さんは当時九州で教員をしていたが、会社を引き継ぐために現地か

  ら技術者一人を引き連れて大阪化学研究所を引き継いだ、彰さんは化学関係についてはまっ

  たくの素人であり、濱田さんらに指導等はしていなかった、

○ プラスチックモデルを開発する以前はプラスチック製の玩具も製造発売していた、

  奥様の証言  当時プラスチック製玩具で手錠を製造発売したが、子供にとっては危険玩具
            として「週刊朝日」に記事で掲載され警察に警告を受ける、

〇 濱田さんらは、昭和31年2月  資本金 50万円にて(株)日本プラスチックス を設立

  日本プラスチックスの住所、電話番号は大阪化学研究所と同じ、つまり間借りのまま、

〇 昭和31年10月頃、日本初のプラスチックモデルの「ゼロ戦」を発売 

  もちろん、市場にも大阪松屋町の問屋を通じて流通していた、(大阪十三にあった火星模型店
  
  の多田さん(通称火星人)が昭和32年の開店時にそのゼロ戦とノーチラス号を仕入れ販売)
  
  しかし、そのゼロ戦はあまり売れなかった、ノーチラス号も売れ行きはよくなかった、

  おそらく、あまりにもプラスチックモデルの登場が早すぎ世の中に浸透することができなかった
  
  ことと、広告宣伝をしなかったためだろう、

〇 その翌年、昭和32年、今度はゴム動力のプラスチックモデル「ノーチラス号」を発売、

  東京地区にも販路を拡大するために東京支店を開設 、そのために貞雄さんの兄の亨さんが

  東京へ、(東京支店の電話は亨さんの名義)

  問屋の最大手の三ツ星商店と取引開始、

  しかし、その「ノーチラス号」もあまり売れなかった、三ツ星商店には在庫が多く残ったものと
  
  思われる、なぜなら、その2年後の三ツ星商店の広告にもそのノーチラス号が載っている、
  
  ただ、ゼロ戦、ノーチラス号は売れても売れなくてもよかった、

  当時はプラスチック関連の原材料の販売で稼いでいた、原材料は四日市あたりから仕入れ 
  
  ていた、とにかく当時はよく売れた、推測であるがそれで相当な資金が溜まったのではないか、

〇 濱田さんらは内田さんが亡くなった2年後くらいに大阪化学研究所から引き揚げた、

  濱田さん兄の亨さんは東京へ進出、昭和33年頃、「ハマライト化学研究所」を立ち上げ、

  そのハマライトではプラスチックの原材料、顔料の販売、金型設計製作、プラスチック玩具の製
  
  造を行い時流に乗って多くの利益が上がった、
  
  そして、

  「ノーチラス号」の金型等はNBK(日本文化教材)に譲渡、その後、NBKは自社ブランドとして

  昭和34年2月頃、「ノーチラス号」を発売、

〇 濱田さん兄弟は河内市(現東大阪市)にも工場を持っていた、

  工場は、同じ市内(当時は河内市)の「大東化成工業」   (これらは昭和34年頃まで)

  その「大東化成工業」とは知り合いでその敷地を少し分けてもらい、そこに簡単な工場を建てて

  製造も行っていた、

  昭和34年中期、「フライングヘリコプター」というプラスチック製の玩具を発売、

  おそらく、これもあまり売れなかっただろう、(現在までその現物は確認されていない)

  貞雄さんはその後東京へ、  おそらくその時にゼロ戦と戦艦大和の金型を大阪の電気科学館
  
  に寄贈したものと思われる、 (戦艦大和の金型についてはどこのメーカーかは不明)

  そして、兄の亨さんと共にいろいろな模型メーカー、玩具メーカー等に関わった、

  玩具メーカー  増田屋、野村トーイ等々、

  模型メーカー  NBK, タミヤ模型、 三和模型、三共模型等、

  ただ、具体的にどのように関わったのかは不明、推測するしかない、おそらく、金型製作、

  原材料供給等などで、模型メーカーがプラモデルに参入するさいに大きく関わったものと思わ

  れる、(一つの事例としてはタミヤの「伝説のプラモ屋」等でもハマライトのことが記されている)

  昭和35年に貞雄さんは東京でOS色素(現OS工業(株))を創業した、

  布施市の「東京堂模型店」は父母に任せる、

  ところで、プラモデルメーカーにとって重要な役割を果たしてくれた兄の亨さんのハマライトのそ
  
  の後はどうなったのか、一番知りたいところだろう、
  
  実は、そのことが企業秘密?でここで書くことができない、僕も書きたいがどうしても書けない、

  冒頭にも言っているように、どうしても知りたい方は僕がコソッと個別に教えてあげる、

※ 濱田さんらに技術指導していた大阪化学研究所の内田義勇さん(1890年~1945年)は、

  今の阪大(応用化学専攻)で、プラスチックモデルの生みの親といえるだろう。

※ P51ムスタングについては未だに現物等の証言も確認されていないので実際に発売された

  かどうかは不明。

  濱田さんは生前、当時の日本で初めてプラスチックモデルを開発していたことなどを語られる

  ことはほとんどなかったという、

  「日本で初めてプラスチックモデルを開発して販売したのは俺や!!」と名乗り出ておられれば

  この60年もの間謎とされていたプラスチックモデルの歴史も一気に解決していたことだろう、

  そうすれば、マルサンの捏造された物語も世の中に浸透することもなかった、

  なぜ、濱田貞雄さんは語られることがなかったのだろうか、

  もし、濱田さん兄弟がいなかったらプラスチックモデルの歴史は大きく変わっていただろう、

  ではもう一度繰り返すが、なぜ濱田貞雄さんは語られることがなかったのだろうか、

                                          それは、  <続く>

  アッ、それから濱田兄弟の仲間達の中で一人だけ手先が器用で技術の面で重要な役割を
  
  果たした仲間がいた、    <続く>http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71202834.html


その仲間達の中で、

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大阪化学研究所で活動していたのは濱田兄弟とその仲間達合わせて5、6人だったという、

これは、大阪化学研究所の内田さんの証言である、ではその仲間達3、4人は一体誰だったのだ

ろうか、それを全て特定するのは今となっては不可能だろう、

しかし、その中の一人が特定できた、

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その一人が登記簿謄本に記載されているこの石村栄三さんである、

そう、住宅を探し当て実際に現地を見に行ったが数年前に引っ越して今は空き家になっていた、

という石村さんである、実はこの方も大阪化学研究所で濱田さんらと活動を共にしていたのであ

る、本職は材木屋だったという、そして技術系に秀でて特に図面書き、金型作りが得意だったとい

う、おそらく濱田さんはこのような職人肌の人材を集めるのも得意だったのだろう、

合成樹脂関連は大阪化学研究所の内田さんが、そして金型等の技術関係は石村さんが、

そのような専門分野を持った5、6人の仲間を作り上げたのだろう、

実際に、濱田さんが東京に進出しハマライトを立ち上げる際もその石村さんを連れて行ったとい

う、

機械類はどのようにして調達したのだろうか、

東大阪は日本有数の町工場である、幸いにも戦時中もほとんど空襲での被害はなく、まあ

一部の地域は多少の被害はあったものの、ほとんどはそのまま残ったという、

だから、機械類も近隣から調達できたものと思われる、

実際、当時の昭和34年の住宅地図を見ると近隣はプラスチック加工工場、プレス加工場、

セルロイド工場、化学工場、工作機械会社等が多く存在している、

原材料はどのようにして、

濱田さんの奥様の証言によると、プラスチックの原材料は四日市から仕入れていたという、

しかし、それにしても凄い、まったくの素人集団が何から何まで全てを自分らで調達して、技術も

独学で習得し、たったの2、3年でプラスチックモデルを日本で初めて開発したのである、

ここで再び、マルサンの批判を行おう、そう僕はシツコイ、

そうなると、一体マルサンのあの物語は何だったのか、最大手の玩具メーカーなので職人も人材

を多くいたわけである、当時の価格でも4,000万円という超高額な機械を導入していながら、な

ぜあのように大げさな苦労があったのだろうか、資金も有り余るほどあったはずである、

あれが事実ならば、よっぽど職人の腕が悪かったとしかいいようがない、

マルサンの職人が四苦八苦していた頃の2年前にはすでに素人の濱田さんらはプラスチックモデ

ルの開発に成功し発売していたのだから。




なぜ、語られることはなかったのか、

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なぜ、貞雄さんは(株)日本プラスチック時代のことや、日本で初めてプラスチックモデルを開発し

たことを語られることがなかったのだろうか、残念ながら、ご本人はすでに10年前に亡くなられて

いるので聞くこともできない、しかし、推測はできる、

貞雄さんは一言で言うと豪快な人だったという、現実を直視し、それから先の将来を見据える人だ

ったという、自分のことを自慢することは決してなかったという、自分に厳しく仕事にも厳しかったと

いう、統率力があり周りの人を常に見守る人だったという、そう、男が惚れる人だったという、

例えは悪いが、〇〇〇も一目置くような人だったという、

それは少年の頃から備わっていたという、貞雄さんは14歳の中学生の戦時中の頃、北海道に6

ヵ月ほど疎開していたという、すぐに地元の少年達の大将になり多くの住民に慕われていたとい

う、そして、その疎開先から大阪に戻る際は多くの少年、住民達から「帰らないで欲しい」と、

その別れを惜しまれたという、

貞雄さんは過去のことはあまり振り返らなかったという、過去にいかに功績があったとしても、そ

んな過去のことはどうでもよかったのだろう、繰り返すが、現実を直視し、常に新しいこと、将来を

見据えたことを考えていたという、

だから、過去にプラスチックモデルを日本で初めて開発したことなど、どうでもよかったのだろう、

ひょっとしたら、そのようなことなどすっかり忘れていたのかもしれない、

おそらく、貞雄さんは人を惹きつける天性のものを持っていたのだろう、そう、子供から大人まであ

らゆる人を惹きつけるもの持っていたに違いない、

それは、貞雄さんが24歳の頃、そう大阪化学研究所時代のことである、当時中学生だった内田さ

の証言によると、貞雄さんらを指導していた内田さんの祖父が亡くなりその葬式の際には、貞雄さ

んは誰よりも大きな花輪を飾って祖父との別れを悲しんでくれたという、

60年前のしかも当時まだ中学生だった内田さんが未だに鮮明に記憶しているほどである、

繰り返すが、子供から大人達までも、そしてまた繰り返すがヤ○○まで虜にするほど魅力があっ

たに違いない、

貞雄さんの奥様は取材の最後にこう仰った、

「素晴らしい人でした、私は最高に幸せな人生を送らせていただきました」 と。

今日13日~15日 休み、

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静岡ホビーショーへ遠征のため13日~15日の間はブログは休み。

さきほど静岡より帰宅

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浜名湖SAにて4時間ほど寝込んでしまったので、4時30分頃帰宅、

ブログは後ほど。

号外をばら撒いた反応は、

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さあて、1年振りの静岡ホビーショーに行ってきた、フリマ会場でばら撒いた?のが次の号外、

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そう、「模型探偵団」東京支部?の相棒が作ってくれたこの号外である、

皆の反応を探るためにばら撒いて?きた、特に業界関係者の方々の反応をみたいので、

大体の反応というのは想定できていたが、

○ 某模型メーカー役員OBのお方

  この号外を見せて概要を説明し手渡そうとしたものの受け取りを拒否

  「プラモデルの一番手はマルサンというのが業界の定番です」と、迷惑そうなお顔をされた、

  そして、何を思われたのか2時間ほど経った後、再びいらっしゃって、

  「その紙にプラモデルという名称は使ってないですよね、プラモデルの名称は商標登録されて

   いますので使ってはいけませんからね」と仰るので、その号外の紙を再び見せて、

  そのようなこと言われることは最初から想定済み、なので、

  「はい、このとおり、プラモデルという表示は行っていません、プラスチックモデル、という表示で

   行っています」  

  「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ なら、いいです」 と、 

  まあ、何がいいのか、さっぱりわからなかったが、

  僕の心の中では、「この恩知らずめ!!」と呟いてしまった、この言葉でどこのメーカーのお方

  かは特定できるだろう、

○  某模型メーカーのお方

   相棒の説明を興味深くお聞きになり、号外を受け取っていただき「ブログを読んでみます」

   と、非常に好意的でありがたく思った、

○  某模型業界関係のお方

   「日本プラスチックがプラスチックモデルの一番手であるということは、業界にとっては

    不都合な真実なのです」 と、

要するに、業界にとってはまさに「不都合な真実」なのだろう、当初からマルサンがプラスチックモ

デルの一番手でないことは薄々わかっていた、そう、それはマルサン自身がわかっていた、

それらのことを捏造までして、マルサン神話を作り上げそのマルサンのノーチラス号を基準にして

業界も今まで動いてきた、つまり、その事例として、「プラモデル50周年」であるとか、

真実が出てくると、今までのことが全て覆されるので本当に都合が悪いのである、

そう、今までの業界の歴史とか活動であるとか、それらのことは一体何だったのか、と、

その不都合な真実を暴かれたことについて、それは僕らの責任ではない、真実なので仕方ない、

それにしても、ひょっとしたら「模型探偵団」は追放されるかもしれない、

そう、フジミ模型みたいに静岡から、来年は無事に静岡で活動できるかは不明である、

まあ追放されても、それで益々やる気が出てくるが、望むところである、

さて、この号外はまた別のイベントでもばら撒く予定となっている。

昨日の静岡のイベントでは、

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静岡ホビーショーの合同展示会場での僕の見学するブースは決まっている、

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そう、この「東京SFプラモビルダース」のブースである、

他の展示のブースを見学することはほとんどない、ここだけは絶対に見学させていただくようにな

っている、他のブースは動かないディスプレイの模型なのでまったく興味はない、

そう、皆同じような模型に見えて仕方ない、

僕のような素人目ではよくわからない、あまりにも作りの良さが一杯の模型ばかりなのでどれがど

のように優れているのかよくわからない、製作技術の高さばかりを競い合うようなものには興味が

ない、そして動かないのでなおさらのことである、



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これは違う、もちろん技術の高さは言うまでもなく、何と言っても動く、動かして楽しむことができ

る、そしてSF模型で僕の趣味にピッタリでもう言うことはない、

まあ、僕だけでなく、子供達も動く模型には目を輝かせて見入っている、

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いや、子供達だけでなく、

動くものには子供も大人も女性も目を輝かせて見入ってしまう、

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ここで、メンバーの方と秘密の話などをするのが楽しい、何の秘密の話?それは言わなくてもわ

かるだろう、

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そして、昨日の収穫物がこの僕が大好きなメーカーの(笑)マルサン商店の段ボール箱で

ある、

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実は、昨日のフリマ会場で某業者の方から相棒がもらったコレを僕が横取りしたようなものであ

る、まあ大体がこのようなものは直ぐに捨てられる運命にあるのでめったに残っていない、

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マルサンの段ボールの箱には当然マルサンのプラスチックモデルがよく似合う、

ちょっと入れてみた、ウルトラマンのプラスチックモデルは長いので飛び出してしまう、

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それと、また別にあるお方からいただいたものが、この資料本とニチモのプラ模型の「バトルバン

バン ブルファイト」という戦車プラモである、

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ニチモの最後のプラモとのこと、、もちろん、僕は初めて見る、前進しながら砲弾を連続発射する

らしい、いただいたものは作って遊ぶのが僕の流儀、早速作ってみよう、  <続く>
                                 http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71215738.html

ニチモ バトルバンバン

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いただいたプラスチックモデルを組み立ててみた、

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ニチモの「バトルバンバン」である、

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何と言っても、砲弾を自動連続発射するのがいい、もちろん、砲弾は砲身からは出ない、

砲塔の前方下部の穴から発射される、

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接着剤は一切必要としない、

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全てはめ込み式となっている、

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リード線もない、配線も必要としない、

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砲弾発射装置も設置完了、

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砲塔を被せて、

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シールを貼って完了、

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砲弾はこの穴から連続発射、

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単3電池2本使用、この電池がなかなか入らない、強引に押し込まないと入らない、

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丸い弾丸を装填して動かしてみた、

これから動画を撮影するので少々お待ちを、


ケチの付けようがなかった号外のチラシ

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さてさて、ケチを付けようにもケチを付けられなかった例の号外のチラシ、

そう、いつも言っているように僕はシツコイ、何度も言う、歳をとると同じことを何度も言うようにな

り自分ながら困ってしまう、そして、過激で挑発的になってくるので益々困ってしまう、

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あらかじめケチを付けられることを想定していた、そのケチとは「プラモデル」という名称である、

そう、内容の文面ついてはケチの付けようがない、全て事実のことだから、

ケチを付けるとしたら「プラモデル」という商標権の問題だけである、そんなこと百も承知している、

だから、国産初の「プラモデル」とは書いてない、プラモと書いている、

ケチを付けたお方はおそらく「プラモデル」という名称を絶対に使っていると勇んできたものの、

その「プラモデル」という名称がどこにも書いてないものだから、もう反論もケチも付けようがない、

だから、「 ・ ・ ・ ・ ・ なら、いいです」と引き下がられた、

下手なケチを付けてきたもんだ、逆効果となってしまった、黙って引き下がっていればいいもの

を、逆に僕にしつこくこのように何度も書かれてしまって(笑)

要は、黙ってスル―して無視すればよかったのである、下手にケチを付けないで、

よっぽど、これまで語られてきたプラスチックモデルの歴史については知られたくない事実がある

らしい、その表情にありありと窺われる、

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それから、文面の中でも特にこの中央の部分も気に入らなかったのだろう、

しかし、これも事実のようだから反論のしようがない、ちゃんと某書物に書いてある、

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僕も後になって気がついたが、この最後の行でなんと上手い具合に「明石小五郎と昭和のプラ

モ ・ ・ ・ ・ ・」となっていた、そう、このチラシには一切プラモデルという名称は使ってない、

なんと上手い具合に作ってくれたものだろう、

念のために、「プラモデル」という名称は商標登録はなっているものの、皆さん達は自由にどうぞ

ご使用下さいということである、現実にはその商標権は行使しないということである、

あくまでも僕だけが使用することはならぬ、ということらしいのでご安心を、

おそらく、今の時代に「プラモデル」という名称を使用するなと警告を受けたのは日本広しといえど

僕くらいのものだろう、

それから、ブログのタイトルの「明石小五郎の昭和のプラモデル」のプラモデルはこのまま使わせ

ていただこう、そう、また警告されるまでそのまま使わせていただこう、あえて、わざとそのまま使

わせていただこう、さて、ケチをまた付けられるかどうか試してみよう、

アッ、それから僕に下手な圧力は通用しない、何と言ってもタダのジジイなので圧力もかけようが

ないだろう、それが、タダのジジイの強みである。

※ 日本プラスチックの「原子力潜水艦ノーチラス号」の現物等の記事については「ぷらもった~」


   


商標権行使の適用第一号となり、

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おかげ様で、「プラモデル」商標権行使の適用第一号の人間となった、(笑)

おそらく、今の時代に実際にその商標権の行使を受けるような方はいなかっただろう、

そう、「プラモデル」の名称を使うな、商標権登録済みなので使うとそれに抵触するぞ、と、

確かにプラスチックモデル工業共同組合に商標権はあるが、実際には「プラモデル」を広く普及さ

せる意味でも世間一般に広く「プラモデル」という名称は自由に使用させている、

まあ、それを僕だけには使わせたくないらしい、

正々堂々と僕に反論できないためにもう苦し紛れに持ち出したのだろう、何と低レベルな時限の

低い話だろう、

その商標権行使を持ち出したのは、某模型メーカー役員OBの方である、

よほど、知られたくないことがあるのだろう、そう、プラスチックモデルの歴史の中で、

そのお方、なんと、「火星人さん」のことも知っておられたようで、

日本初のプラスチックモデル会社が特定されたことは非常にマズイようで、

その某会社を救った会社が特定されたことも非常にマズイようで、

まさか、60年も経った今、特定されようなどとは想像すらしなかっただろう、

何か不都合なことならば、黙って無視しスル―すればいいものを、下手なケチを付けてきたものだ

から、それが逆効果になってしまった、今回の件がなければ僕もここまでしつこく書くことはなかっ

た、これで、益々火が付いた、

おそらく、業界は2年後には「プラモデル60周年」と称して行事を行うだろう、

そう、嘘で捏造した「マルサン伝説」から起算しての60年、(笑)

それまでには、何とか、そう、「捏造されたプラスチック模型の歴史、隠された真実とは」

というようなものをまとめあげなければ。

※ 僕のブログはマルサン及び業界関係者等も読んでいるはずなのに未だ一つも反論はない、

  そりゃそうだろう、反論のしようがない事実なのだから、

  アッ、そういえば、それらしきものは1件だけあった、ま、それも笑ってしまうようなもの、

  それは、「プラモデルの一番手はマルサンに間違いありません」と、

  そりゃそうだろう、「プラモデル」という名称はマルサンが勝手に一番に作って一番最初に

  使用したのだから、ま、なんと苦しい言い逃れのようにしかみえない。









もし、「火星人」が引退していなかったら、

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静岡ホビーショーでは(株)ジートッププレス(旧日本模型新聞)の社長さんともお会いしていろいろ

とお話しをお聞きすることができた、その話のことを詳しくここで書くことはできないが、

もちろん、日本模型新聞の社友であった「火星人さん」の話題もあった、

「火星人さん」は今90歳、火星人さんの「火星模型店」は伝説の模型店として今も語り継がれ

ている、もう一度火星人さんのことを書いてみると、

「火星人さん」は昭和54年に模型業界から引退なさった、

そう、昭和32年に大阪の十三で「火星模型店」を開業され、その開店仕入れのために松屋町の

問屋から日本プラスチックのゼロ戦とノーチラス号を仕入れたことは以前の記事でも紹介した、

そして最終的にはその昭和54年にビル建設の立ち退きのために模型店は廃業なさった、

火星人さんが54歳の時である、その後、火星人さんは模型店を再開されることはなかった、

もちろんその後、日本模型新聞の記事を書かれることもなかった、

その模型店を廃業されるまでの20数年間、日本模型新聞の社友として毎号記事を書き、また関

西の模型組合の幹部として活発に活動されていた、また模型業界のご意見番としてその影響力

は大きかったという、それは日本模型新聞の記事にも大きく表れていた、メーカーにも言いたいこ

とを言い、厳しく批判したこともあった、そのことは過去の記事にも書いているとおりである、

もちろん、「プラスチックモデルの一番手はマルサンではなく、大阪の布施にある(株)日本プラスチ

ック、である」と痛烈に日本模型新聞紙上でマルサンを批判したのも「火星人さん」であった、

毎年の「モデル大賞」を決める際も幹部委員として大きな影響力を持っていた、

例の「プラモデル」の名称を使ってはならぬ、と僕に警告した某模型メーカー役員OB(まあどこの

模型メーカーなのかおわかりだろうが)のお方も「火星人さん」のことはよ~くご存じだったようで、

おそらく「火星人」の名は関西だけでなく、静岡まで轟いていたのだろう、いや東京までも届いてい

たに違いない、

ところで、「火星人さん」が54歳で模型業界から引退することなく、その後も継続して活動されてい

たらどうなっていただろう、ひょっとしたら、捏造された「マルサン伝説」などなかったかもしれない、

実は、火星人さんは未だに「プラスチックモデルの一番手はマルサンではなく日本プラスチック

だ」と仰っている、

そして、当時のマルサン商法の悪どさを今でも話される、

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僕が「火星人さん」のお宅を訪問した際にはこの本をいただいた、そう、あの安否確認に訪問した
時である、火星人さんは書店で見かけてこの本を購入したという、

火星人は90歳になる今でもその捏造された「マルサン伝説」が気がかりなのである、

そうそう、近日中に火星人さんのお宅へ行って今回の件を報告しようかな。


ジャガーパックス

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静岡では「ジャガーパックス」の話題も上がったので紹介しておこう、

「ジャガーパックス」とは、そう、あの立風書房が出版していた本のこと、

その立風書房は今は学研に吸収されている、

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妖怪ものシリーズ等、いろいろなものがあったが、僕らが読んでいたのはこれらの戦記物だろう、

昭和50年前後なので、僕は当時読んだことはない、おそらく40歳代後半から50歳代の方々だろ

う、

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中西立太画伯、梶田達二画伯、前村教綱画伯らが中心になって描かれていた、

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このような漫画も載っていた、

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昭和の絵師達の中であまり目立たない存在だったのが前村教綱画伯である、

小松崎画伯、高荷義之画伯、梶田達二画伯、中西立太画伯、等々の影にかくれてあまり目立た

ない存在であった、そうそう、「ウルトラの画家」としてウルトラマンの絵本等も描かれていた、しか

し、60歳という若さで10年くらい前に亡くなられたようである。


この箇所もお気に召さなかったのだろう、

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まだまだ、例の号外のチラシで具体的?に突っ込んで書いてみよう、

もう徹底的にしつこく書いてみよう、

「プラモデル」という名称を使うな、ということは僕にしてみれば業界から「宣戦布告」を受けたもの

とみている、何度も言っているように、「プラモデル」という名称は商標登録がなされているので法

的には使えない、ただプラスチック模型工業協同組合は公開し「プラモデル」を広く社会一般に浸

透させる意味でも使用させているのが現実である、普通なら「プラモデル」という名称を使ってもそ

の商標権を行使され禁止されることはまずありえない、ま、聞いたこともない、

僕だけに使うなということなので、普通に考えても苦し紛れのイチャモンとしか考えられない、

模型業界にとって不都合な真実が暴かれたものだから、しかもそれが事実なものだから、しか

し、反論もできないので、下手なイチャモンしか付けようがなかったのである、

イメージ 1


おそらく、このチラシを見たその某元模型メーカー役員OBのお方は親分?のところへ行き告げ口

をして「何かイチャモンを付けてこい」と言われたのだろう、それで苦し紛れに「プラモデル」の名称

は使うな、と、

それから、もう一か所お気に召さなかった箇所があったのだろう、

それが、もう一度繰り返すが次の文面、

イメージ 2

そう、この真ん中の文面だろう、しかし、ちゃ~んと某書物にも書いてある、助けてくれたことを、
                       http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71126769.html

これも上手い具合に具体的なメーカーは書いてない、某社としている、メーカー名を書いていたら

それこそ大変なことになっていたかも(笑)、 もちろん、これらもあらかじめ想定済みのこと、

まさにケチの付けようがないチラシということ、

まさか、60年近くも経った今、その会社が解明されることなど想像すらされなかっただろう、

普通なら、「その○義ある会社をルーツとする会社が解明され今存在するわけで、普通の感覚か

らいけば、その会社に・・・・・ をとって ・ ・ ・をしてもよさそうなものだが」、しかし、そのような兆

候は見られない、「この〇知らずが!!」

ま、何か他にいろいろとあるのだろう、そうなると余計に知りたくなる、

それらのことも今後の調査の対象となるだろう、

ハッキリ言って、ここまで書くつもりはなかったが、宣戦布告?されたので書くしかない、
                                              <まだまだ続く?>

エッ、これからの活動方針? それは、ヒ、ミ、ツ、

それから、現在の「マルサンは」今まで静岡ホビーショーに出展なさってたの?

なにか今年も静岡ホビーショーには出展しませんと、http://ameblo.jp/marusankaminaga/entry-12159558739.html

出展なさってれば面白かったのに。

まんまと罠にはまっていただき、

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本文の前に、
念のために、「商標登録」の照会方法をどうぞ、

もちろん、簡単に商標が登録になっているかがすぐにわかる、

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/all/top/BTmTopPage ここへアクセスしたらよい、

画面が出たら、左の項目を「商標を探す」にして「プラモデル」と入力すればヒットする、

あと、「プラモ」とかいろいろと入力して検索すると、エッ、こんなものまで商標登録がなっているの

かと驚くものもある、そう、日常なにげなく使っているものでも、

ただ、現実は「プラモデル」という商標登録がなされていても、日本プラモデル工業協同組合はプ

ラモデルを一般社会に広く浸透させる意味でもその使用を禁じるような措置はとってない、

ご存じのように僕らは「プラモデル」という名称はごく当たり前のように日常使っている、

それらのことは、当たり前のことで商標権の面からみてもまったく問題はない、

それを、あえて某大手模型メーカーの役員OB(某としなくてもおわかりだろうが)のお方は、

「商標登録」しているのでプラモデルという名称を使ってはいけない」と、警告されたのである、

もちろん、僕だけに「プラモデル」という名称は使うなということである、

そりゃそうだろう、日本全国に一斉に「プラモデル」の使用禁止にしたら、それこそ今となっては

大混乱?してしまうだろうから、

「プラモデル」の名称は使うな、そんな無謀なこと仰らなければ、このような大げさにならずに済ん

だのに、おかげ様で、今回の件もこれで相当なPR効果をもたらしてくれた、そう、日本全国?の

読者の方々に知っていただくことができた、 そう、模型業界人がいかに商標権に関しても無知で

あることが証明できたのである、

僕からしてみれば、まんまと罠にかかっていただいた、ということだろう。

さて、いよいよこれからが本題、

フ、フッ、実はそのお方、「商標権」という意味、その及ぶ範囲をまったくご存じないらしい、

あまりにも無知で、無謀な警告だったのである、あまりにも苦し紛れの、

結論から先に言おう、 最後の止めである、

いかに「プラモデル」という名称が商標登録されていても、僕らが「プラモデル」という名称を使って

問題はないのである、 現実に日常使っているし、そう、商標権には抵触しないのである、

実は「商標権」は、・ ・ ・ ・ ・      <まだまだ続く)

                                                 



「プラモデル」という商標権が及ぶ範囲は、

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ここで、商標権に関する件で模型業界に最後の止めをさしておこう、

商標権の侵害とは、登録商標と同一、または類似した指定商品、指定役務(サービス)にその登

録商標を使用することが商標権の侵害である、

つまり、商標権を登録の際は指定の商品名とその役務(サービス)をセットで申請しなければなら

ない、というのは、まあ、商標権の条文等を読むとややこしい、なので、

前の頁で紹介したサイトで検索していただこう、https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/all/top/BTmTopPage

そう、「プラモデル」で検索すると該当が3件ヒットするだろう、

日本プラモデル工業協同組合が登録している3件である、

それぞれのものを個別に見て、「商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務」を見てみ

ると、プラスチック模型、模型、新聞、雑誌、定期刊行物、おもちゃ人形、となっている、

つまり、「プラモデル」という指定商品名と上記に記された役務がセットになっているのである、

だから、「プラモデル」という名称は模型、雑誌、新聞、定期刊行物、おもちゃ人形には商品名とし

て他の者は使用することができない、が、他のものは大丈夫ということである、

例えば、お菓子でも、鞄でも「プラモデル」という名称を使用できるし商標登録もできる、

極端にわかりやすく言うと、電気の今話題の「シャープ」という商品名は当然商標登録がなされて

いるが、お菓子の名前なら同じ名称の「シャープ」が登録使用できるということ、

現に前田製菓が「シャープ」というお菓子を登録している、

そう、「商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務」が違うので、

電気の「シャープ」の役務区分は電気部品等で前田製菓の「シャープ」の役務区分はお菓子だか

ら、つまり、商品名の商標登録をしたからと言って全てのものを独占支配することはできない、

あくまでも指定した自分とこの商品名だけの話である、

模型の「プラモデル」の商標名称もそれと同じこと、 模型という有体物に付けられた商標の名称、

要はその指定の商品の商標名をパクられて権利を侵害されないよう保護するのが商標権なの

で、単なる文章の中でその名称を使われたからといっても、よほどのことがない限り商標権の侵

害には当たらない、使われた側に重大な不利益にならない限りは、(アッ、今回の場合は重大な

不利益なってしまうか、プラモデルの歴史を捏造したことがバレテしまうので)、  う~ん(笑)

よって、今回の号外チラシで仮に「プラモデル」という名称を使用したとしても、それは指定した模

型の商品のことでもなく、「プラモデル」という名称の雑誌、新聞、定期刊行物でもない、タダのチラ

の文章で使用しただけのことであり、まったく問題はないのである、だから世間一般にも「プラモ

ル」の名称が流通しているのである、商標権の話ではなく、あえていうなら著作権の話だろう、

もう一度言うと、商標権の及ぶ範囲は、「プラモデル」という名称の模型商品の有体物を保護する

ためで文章の中にそれが使用されようがそれは対象外である、常識的に単純に考えてもそうだろ

う、商標登録がなされているものが文章にも書けない、表現することもできないとなったら、商標

登録されているものは膨大な数である、それこそどのように表現したらいいのか、

「太陽」という名称も登録されている、一体どのように表現するのだろう、「戦艦大和」も商標登録さ

れている、

某模型メーカー役員OBの方が仰るような、「プラモデル」の商標登録がなされているからその

名称の使用は許さない、というようなことはまったく無知な方の無謀な論理で「プラモデル」という

名称を全面的に独占できることではないのである、商標登録された特定商品と、 「商品及び役務

の区分並びに指定商品又は指定役務」の項目に指定されたものだけにしか効力がないのであ

る、 これらのことに間違いがあれば反論をどうぞ、

フ、フッ、 今度、またまた罠を仕掛けてやろう、

そう、今度はプラスチックモデルではなく、「プラモデル)とい名称を全面に表示して号外チラシを

ばら撒いてみよう、おそらく、今度は血相変えて「あれほど、プラモデルの名称は使うなと警告した

はずだ!!」と仰るに違いない、

そこで、冷静に静かに、「おだまり!!」 と言って、商標権のことを教えてあげよう。

※ どうしてもチラシのばら撒きをやめさせたいなら、「商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務」 の項目にチラシ、紙類等と追加登録すること、親切に教えてあげようかな、ただ、その追加登録が申請とおり受理されるかどうかはわからないが。

ついでにもう一つ、 「戦艦大和」も商標登録されている、もちろん、その際も「商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務」で具体的に種類を特定しなければならない、酒類とか、海苔、
貴金属、履物、とか、「戦艦大和」と商標登録されてもその名称全てに権利が及ぶものではない、
ま、当たり前の話、

あ~、そういえば随分昔、模型で「戦艦大和」の意匠、商標権に絡んだ事件?があったなあ~、
この場合はその適用は「ソリッドモデル」に限定されていた。http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70183704.html

  そうそう、グッドアイディアを思いついた、         <まだ続く>
     


「プラモデル」という商標登録をしてみたら

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おかげ様で、商標権のことで随分と書かせていただいた、模型業界にはまともな知識を持った方

々はいらっしゃらないのだろうか、

程度の低い低レベルの商標権のイチャモンを付けられることがなかったら、ここまで書くこともな

かった、大げさになることもなかった、

商標権については、これで、とりあえずは最後の止めとしよう、

実は、グッドアイディアを思いついた、

そう、「プラモデル」の商標登録をしてみたらどうだろう、

先の記事にも書いたように、現在の「プラモデル」の商標登録の内容を見てみると、

【商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務】
〇 プラスチック製模型おもちゃ及びその組立キットその他のおもちゃ,人形

〇 新聞,雑誌,その他の定期刊行物

〇 模型 

と、なっている、

と、いうことは、それ以外には「プラモデル」の商標名の登録が可能ということである、

実際に以前にも存在していた、どこだったか忘れてしまったが、

例えば、お菓子、建築物、電気製品、等々、まあ沢山ある、

一番いいのは、鞄、ケース等に「プラモデル」の商標登録をしたら面白いのかもしれない、

そう、プラモデルの収納カバン、ケースとして、店頭の展示ケースとしても最高だろう、

【商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務】
  模型収納の鞄、及び模型展示用のケース

として商標登録したらいい、

もちろん日本プラモデル工業協同組合も文句は言えないだろう、先に登録したほうが勝ち、

そうなると、展示会等で使用するショーケースなどには「プラモデル」という表示が本家?

の日本プラモデル工業協同組合も模型メーカーも使用できなくなる、

いや、ケースだけでなく、接着剤、ピンセット、塗料等、いくらでも商標登録できる、

ひょっとしたら、今頃、顧問弁護士らと緊急協議をしているかも、

ひょっとしたら、慌てて追加商標登録なさるかも(笑)。



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