日本プラスチックのゼロ戦と戦艦大和の金型が大阪の電気科学館に寄贈されたことは先の記事
そこで、なんとかその証拠をつかみたいと大阪の図書館へ行ってきたのである、
昔の電気科学館に関する書物を片っ端から書架から取り出してみる、
その中で一番可能性があるもので、「電気科学館だより」というもの、
ただ、これが昭和32年8月からのもので、それ以前が欠落していた、
う~ん、一番肝心な時期のものがない、結局、金型寄贈の記事や写真等は発見できず、
しかし、タダでは帰れないので、しっかりと当時の合成樹脂業界のことを勉強してきた、
昭和24年7月に出版された「合成樹脂工業と大阪」という書物である、
これで、しっかりと当時の大阪の合成樹脂業界のことや製法のことを頭の中に叩きこんできた、
そして60ページくらいコピーをしてきた、もちろん、図書館の承認を受けてのことである、
一応念のために、
コピーする際はこの複写申込書に記入して受付の承諾を受けてから行う、コピー1枚10円、
まあ、このような書物で勉強すると「マルサン伝説」に書かれているようなプラモデル開発時の苦
労話が嘘であることはすぐにわかるだろう、
ここで、しつこくなるがもう一度マルサンを痛烈?に批判しておこう、
この書物によると、冒頭あたりにこう書いてある、
マルサンの「ノーチラス号」は国産初のプラモデルである、
また、マルサンより前に他のメーカーのプラモデルが存在したらしい資料もある、
プラモデル史においては検証が必要だろう、マルサンの製品を国産初とするのは、マルサンが
「プラモデル」という言葉を作り、そして開発から販売、ブームアップまでプラモデル業界の基盤
を作り上げたことは間違いないからだ。 と書いてある、
それは、違います、いや訂正、一つだけ本当があった、それは勝手に「プラモデル」という言葉を
作ったこと、それだけは間違いない、他は全て間違い、いや嘘です、
はい、ですから僕がちゃんと検証しました、
開発から販売、ブームアップまでプラモデル業界の基盤を作り上げたのも「日本プラスチック」が
最初です、そしていろいろなメーカーと関わってきました、マルサンは自分とこの会社だけで精一
杯でした、そしていろいろと迷惑をかけていました、だから、マルサン追放運動までおきたのです、
そして、なぜ僕がマルサンの間違いではなくマルサンの嘘だとまで断言できるのか、
それは、マルサンは知ってたはずである、自分とこの「ノーチラス号」が国産初ではないことを、
その書物によると、売り込みに苦労しやっと東京の「三ツ星商店」が「ノーチラス号」を取り扱ってく
れることになった、とある、実はその頃、その三ツ星商店には日本プラスチックの「ノーチラス号」
が大量に売れ残っていたはずである、
間違いなく、三ツ星商店は次のようにマルサン商店に言っただろう、
「エッ、またノーチラス号かよ、倉庫には日本プラスチック製のノーチラス号が去年から大量に売
れ残りがあるんだけど、どうしょうもないな~」 と、
もちろん、マルサンは驚いただろう、 もちろん、その前に知ってはずである、その1年前にはすで
に東京の模型店でも日本プラスチックのノーチラス号は発売されていたのだから。