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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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田宮模型 M41ブルドッグ リモコン

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今さら言うまでもなく、僕の場合は動態保存するのが基本である、

そう、後生大事にいつまでもキットのまま持っていることなく、なるだけ組み立てて動かして遊んで

いつでも動かして遊ぶことができるように、ということである、

つまり、いつ死んでしまうかわからないので、何度も言うように、あの世にまで持ってはいけない、

死ぬときは皆裸一貫、だから、元気なうちに好き勝手なこと言って、チマチマと一人で遊んだほう

が精神的にもいい、そう考えなければとてもやってられない、そのお馬鹿さんぶりを笑ってもらっ

たらそれで嬉しい、

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さて、今度はタミヤのリモコン M41ブルドッグ戦車を動かしてみた、

キットの発売時期やら、どうのこうのという下手な能書きは省略する、そんな細かいことは僕の場

合はどうでもいい、そのような細かいことは他の模型サイトを観たほうがいい、要は動かして遊べ

たらそれでいい、

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ハッチも開くようになっているが、気をつけないとヒンジというか爪が折れてしまう、

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特にこれと言ってギミックはない、走るのみである、僕としてはあまり面白くない、

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もちろん、今の電池は昔のものより大きいので相当無理しないと入らない、

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蓋が閉まらない、

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昔の電池なら楽々入る、

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それと、この電池ボックスの蓋の爪、まあ大体が折れてしまう、蓋を開けようとして無理して開けた

ら折れてしまった、気にしない、いちいちそんなこと気にしたら動かして遊べない、瞬間接着剤でく

っ付けたらなんとかなったが、また折れるだろう、

それでは走らせてみよう。



⑨大阪化学研究所から引き揚げた後は、

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登記簿謄本上の代表取締役であった石村さんの行方を追ってみたが、それも少し遅かった、


そう、古い住宅地図等で石村さんの住宅は特定したものの、すでに4、5年前にご家族は引っ越し

され今は空き家となっていた、近所で聞き込みするも引っ越し先等はわからなかった、

今後は何らかの方法で追跡したいと思っているが、今となっては非常に困難だろう、

大阪化学研究所から濱田さんらが引き揚げたのは大阪化学研究所の内田さんが亡くなられてか

ら2、3年後ということなので、昭和33年の後期頃ではないかと推測される、

それはなぜかというと、NBK(日本文化教材)が昭和34年2月頃に自社ブランドとして「ノーチラ

ス号」を発売しているからである、 おそらく、これも推測であるが、「ノーチラス号」の売れ行きは

あまりよくなかったので資金繰りのためにNBKに金型等を売却したのだろう、

それで、大阪化学研究所から引き揚げて次の製品の開発に取り組んだのかもしれない、


しかし、その「フライングヘリコプター」もあまり売れなかったと推測される、

その「フライングヘリコプター」の現物も、購入したなどという証言等も確認されていない、

そして、(株)日本プラスチックスはその「フライングヘリコプター」の広告を最後に消え去ってしまっ

た、 濱田さんの「東京堂模型店」も親族の名義に変更された後、昭和40年の広告を最後に消え

去ってしまった、会社の登記簿謄本も「休眠会社」とみなされ最終的には強制的に法務局が「みな

し解散」としその登記簿上から閉鎖された、

はたして、濱田さんらはその後どうなったのだろうか、

僕が一番知りたいのは、素人集団であった濱田さんらがどのようにしてプラスチックモデルを開発

していったのか、まだ誰も取り掛かっていない頃、国内ではプラスチックモデルについては未知の

世界であった頃、なぜそれに挑戦してみようとしたのか、一体、どのような困難、苦労があったの

だろうか、

結局、濱田さんらが開発、発売したゼロ戦、ノーチラス号はあまり売れなかった、

それは、あまりにも時期が早く、時代の時流に乗れなかったからかも知れない、

それと、広告宣伝力の問題だろう、資金的に余裕がなかったのだろう、

まだ、濱田さんらのご家族等には辿りついてはいない、なんとか辿りつきたいとは思っているが、

まだまだ、追跡調査は続いていく。


田宮模型 スターリン戦車

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田宮のスターリン戦車を走らせてみた、

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このスターリン戦車を走らせるのは初めてのことである、

実は、このスターリン戦車の完成品は例の「マルコ模型店」から入手したもの、

ショーウインドウ―の中にこの完成品が飾ってあったのを譲ってもらった、もう20年近くなるだろ

う、あの頃の店主とのやりとりが懐かしく思い出される、もちろん、僕もまだまだ若かった、

昨日、久しぶりにこのスターリン戦車を取り出して調整を行い初めて走らせてみた、

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赤外線装置もちゃんと照射、

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転輪はサスペンション仕上げ、

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砲塔の中には単3電池1本、

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ハッチ類も開閉可能、

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単2電池を2本、又は3本使用できる、例のごとく現行電池はちゃんと入らない、

ところが、この状態でもうまく電池受け金具に接触している、そしてボディー上部もこのまま被せる

ことができる、そう、電池受けは何の改造をすることなくこのまま使用できる、

電池3本にて走らせてみた。


⑩今までのことを要約すると、

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それでは、今までの追跡調査で判明したことをもう一度簡単にまとめてみよう、

〇 濱田偵男さんは戦後すぐに布施市(現東大阪市)の小坂駅南側徒歩5分ほどの場所で「東京

   堂模型店」を開業した、

〇 濱田さん兄弟とその仲間達5、6人は昭和28年頃から、布施駅近くの(資)大阪化学研究所

  に機械類を持ち込んでプラスチックモデルの開発に取り組み始めた、

  その技術指導には大阪化学研究所代表者の内田さん(1890年生)で、濱田さんらは内田さ

  んを「先生」と呼んで技術指導を受けていた、

〇 その技術指導を行っていた内田さんが昭和30年の夏に亡くなられた、

〇 その内田さんの息子さんは当時九州で教員をしていたが、会社を引き継ぐために現地から技

   術者を引き連れて大阪化学研究所を引き継いだ、

〇 濱田さんらは、昭和31年2月  資本金 50万円にて(株)日本プラスチックス を設立

〇 昭和31年10月頃、プラスチックモデルの「ゼロ戦」を発売 (時期は推定)

〇 その翌年、昭和32年、今度はゴム動力のプラスチックモデル「ノーチラス号」を発売、

  東京地区にも販路を拡大するために東京支店を開設 (ただしちゃんとした支店ではなく濱田

  さんの親族名義の電話番号 ) 問屋の三ツ星商店と取引開始、

〇 濱田さんらは内田さんが亡くなった2、3年後に大阪化学研究所から引き揚げた、

  「ノーチラス号」の金型等はNBK(日本文化教材)に売却、その後、NBKは自社ブランドとして

  昭和34年2月頃、「ノーチラス号」を発売、

〇 濱田さんらが大阪化学研究所から引き揚げた後は、

  本店の住所は大阪化学研究所の住所を使用、電話番号は布施駅近くの「みやこ商店会」の

  「三木商店」を使用、(その三木商店は現在は数年前に閉店)

  工場は、同じ市内の「大東化学工業」

  新たに、東京に工場を開設(ハマライト化学研究所を立ち上げ)

  昭和34年中期、「フライングヘリコプター」というプラスチック製の玩具を発売、

  その後の動きはいまのところ不明、まだまだ追跡調査中、

  ざっと、上記のとおりとなっている。

※ 濱田さんらに技術指導していた大阪化学研究所の内田さん(1890年~1945年)は、

  今の阪大(応用化学専攻)で、プラスチックモデルの生みの親といえるだろう。

※ P51ムスタングについては未だに現物等の証言も確認されていないので実際に発売された

  かどうかは不明。


  

昭和32年には「ニチモ」と「大模」が発売、

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一応念のために、もう一度プラスチック模型の歴史のことで言っておこう、

以前の記事にも書いているように、プラスチック模型については昭和32年には「ニチモ」と「大模」

がそれぞれ次の物を発売している、

そう、マルサン以前に日本プラスチックス以外のメーカーでもプラスチック模型は発売していた、

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ニチモは、この「フライングヘリコプター ソニー号」を発売、


そして、「大模」は「人工衛星ジュピター」を発売した、



過去の資料を調べただけでも、これだけのものが出てくるのでおそらくこれら以外にもプラスチッ

ク模型等がマルサン以前にどこかの無名のメーカーで発売された可能性は十分にあるだろう。

※ 大模とは現(株)ダイモ

今朝の日の出前

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                    ベランダからの今朝の日の出前

エルエス M24チャーフィ 木製模型を、

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僕が好きな戦車でM24チャーフィ軽戦車がある、

なんと言っても、M24は可愛らしい、軽戦車で可愛らしくとも主砲は75ミリで12、7ミリ機銃も備

えて武装は中戦車並みである、

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これは、日本ホビーのM24戦車プラモ、M24戦車で作ったのはこれだけ、

プラモデルだけでなく、木製キットにもM24戦車はある、

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そう、このエルエスのM24戦車キットである、

アレッ、なんと中型戦車となっている、武装が中型戦車並みということだろう、

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今回は、このM24戦車キットを作ってみよう、

さて、ゴムキャタピラは大丈夫かなとチェックしてみたら、癖は少しついているものの、まだまだ大

丈夫、   <続く>

エルエス M24 木製戦車を作る、

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エルエスの木製戦車キットの「Mー24中型戦車」を作り始めた、

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当時のこの手のキットには部品が揃ってない場合が多い、そう、箱詰めの際に入れ忘れたりし

て、かなりいい加減なことが多かった、まあ、いちいち部品を確認すまでもなく、早速とりかかろ

う、

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60年近く経ったゴムキャタピラはまだまだ大丈夫、 木製キットのゴムキャタピラは意外と長持ち

する、おそらくゴムの厚みがあるからだろう、ただ、癖が付いていると使い物にならない、

そう、折り目が付いて元に戻らない場合は使い物にならない、このキャタピラは特にその癖も付い

てないので大丈夫、

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これは、転写マークではない、僕お得意の切り抜いて貼り付けるやつ、

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ボディー左右の側面板を組立ようとしたら、片方の側板の切込みが内側にない、

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そう、切込みがない、

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なんと、同じ切込みの側板が2枚、これも部品の箱詰めの際の間違いだろう、

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仕方ないので、切込みを切り落として、

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それをボンドでくっ付けてOK、

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当時は今のように木工用ボンドみたいな接着剤がなかったので、全て釘を打ちつけて組み上げて

いた、できればオリジナル同様に釘でやりたいが、かなり難しい、ボンドで接着する、

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この起動輪と誘導輪のシャフトの間隔が難しい、プラモデルのように取り付け位置が決まってない

から大体の目分量で決めるしかない、組み上げるまでゴムキャタピラがちゃんと架けられるかどう

かわからない、シャフトの間隔が短いとキャタピラが緩くなるし、長いとキャタピラがキツクなったり

架けられなくなってしまう、それは組み上げるまでわからない、  <続く>

エルエス M24 木製戦車を作る、

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釘ではなく、全て木工用ボンドで接着する、

転輪はシーソー式に動く、

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単2電池2本を使用する、 モーター、ギアボックス、軸受はネジで止め、電池受け金具は釘を打

ち込んで止める、

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砲塔の台座を開閉して電池を取り換える、蝶番を取り付けるのが難しい、蝶番は接着剤では取り

付けできないので釘を打ち込んで取り付ける、そう、斜めに打ち込むと横から釘が飛び出してく

る、それと蓋を閉めた時にちゃんと隙間なく閉まるようにしないといけない、

板は長年の経過で反りがあったりしてピシッと合わない、隙間やズレ等が出来てしまうのでパテで

埋めたりして形を整える、

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砲塔を作り、

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さあ、ここでゴムキャタピラを架けてみる、 ちょっとキャタピラの張りがキツイ、

ここまでくると、起動輪と誘導輪のシャフトの間隔を調整することは出来ないので、

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キャタピラをチョキンと切断して、

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6ミリほど継ぎ足す、昔はこのようにはできなかった、そう接着剤がなかったので、

だから、ゴムキャタピラが緩かったり、キツかったりして架けることが出来なかったり、

よく泣かされたものだった、ちゃんと走らせた記憶はない、

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これで、キャタピラの張り具合はちょうどいい、

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砲塔を取り付けて、

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色を塗ってみよう、    <続く>

エルエス 木製戦車 M24

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組立が終わったので、色を塗ったら完成である、

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色も自分の好きなように塗ったらいい、玩具っぽく塗ってみた、上手に塗らなくてもいい、

下手に塗ったほうが当時の木製模型の雰囲気が出てとてもいい感じ、

要は、自分が楽しめればいい、自分が好きなように塗り、そして動かして遊んで楽しければそれで

いい、だから、僕は今のプラモデルのようにプロ並みのような技術を誇ったような模型にはまった

く興味がない、チマチマと一人でコソッと楽しむに限る、だから、クラブ、同好会等にも入らない、

いや、正確に言うと入会資格がない、

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今の模型に比べたらもう笑ってしまうような木製模型だろう、しかし、なんとなくM24の特長をとら

えている、転輪は3個しかないが、それはご愛嬌、まあ、誰が見てもM24にしか見えない、

この頃はまだ転写マークは現れていないだろうから、マークはハサミで切り抜いて貼り付けてあ

る、これも僕お得意のお気に入りのものとなっている、

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手動で砲塔も回転、砲身も上下に動かせる、このアングルもいい、

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砲塔の台座を開けて単2電池2本を装填する、

それでは、走らせてみよう。


今までに作ったキャタピラ木製模型

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今までに作った木製のキャタピラ模型を並べてみた、

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プラモデルとはまた違った雰囲気を持っている、

このように、「自分だけの一人展示会」をコソッとやるのもいいものだろう、

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その中で、変わっているのがこの今井商店(今井科学)のロケットランチャー、

金属製キャタピラなので、当然スムーズには走らない、木製プーリーに金属製キャタピラなので

スムーズに走るわけがない、http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69818520.html


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あとこの三和模型のゴム動力の戦車模型、ゴム動力ではゴムキャタピラを回すパワーはない、

だから、ゴムキャタピラの代わりにホームセンターで売っているスポンジ素材の隙間等を塞ぐシー

ル材でキャタピラを作った、http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69155792.html

あと作ったことがないものに、モーターライズの潜水艦がある、

去年の夏はニチモの「キングシャーク」を海底で走らせ無事に成功した、

今年の夏は木製の潜水艦を潜らせようかなと考えている。

サイボーグロボットのゴムローラーを、

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戦車プラモのゴムキャタピラが劣化するなら、ロボットプラモのゴムローラーも同じように劣化す

る、

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コグレ模型のサイボーグロボットを久しぶりに取り出してチェックしてみたら、

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年月がたつにつれて段々と劣化が進んでいる、もうこのようにギザギザも摩耗しカチカチに硬化し

ている、

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ひび割れも発生、もう炭のような状態に、だから、このローラーで歩かせるとゴロゴロと音が発生し

てスムーズに足を運ばない、

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このサイボーグロボットのストッパーは爪で止めるものではない、シャフトを食い込ませてゴムロー

ラーの逆回転を止める、

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シャフトをローラーのかかとに入れておき、前進の場合はローラーは左回転するのでシャフトは上

方に跳ね上がるのでローラーは回転するが、

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右回転の逆回転しようとすると、ストッパーはかかとに食い込んでローラーの回転をストップさせ

る、という単純なものとなっている、

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以前にもゴムローラーの製作方法は紹介しているも、もう一度参考までに制作してみよう、

ゴムキャタピラと同じように、方法はいたって簡単なもの、

シャフトを用意して、厚さ0、5ミリのゴムをローラーの幅に切断して、それをシャフトに巻き付けて

いく、

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そう、このように瞬間接着剤にて巻き付けていく、

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すると、当然のことながらこのように段差が発生するので、この段差を解消しなければならない、
                                               <続く>

サイボーグロボットのゴムローラーを、

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さて、段差を解消するために熱したハンダ小手を使用する、

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そう、このようにして段差の箇所を熱して溶かしたらよい、そしてちゃんと円形になるように指で

修正する、

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このように、円形になるように修正する、ハンダ小手で熱しているので指で修正できる、

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次に、このように細く裁断して、

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その裁断したやつを靴底補修剤でくっ付けていく、

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一晩寝かして乾いたら、はみ出した両端をハサミで綺麗に揃える、

あとはサンドペーパーや、熱したハンダ小手で形を整える、

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右が今回製作したゴムローラー、左がオリジナルのもので大分劣化してひび割れや摩耗して炭の

ように硬化しているので、この左足のローラーも作らなければならない、

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まあ、製作方法はいたって単純で素朴?な方法となっている、僕は高度な技術や知識は持

っていないので、基本的には今まで通り切り貼り方法となっている、

そう、下手に学があるとそれが弊害になることがある、

要は、一度試してみること。


「模型探偵団」及びretro kit and toys com からのお知らせ

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21日(日)スケールモデラーズフェスティバルについてのお知らせ
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お待たせいたしました
「模型探偵団」、与力、retro kit and toys com でございます。

昨年に引き続きまして、
今回も、東京にて開催されるスケールモデラーズフェスティバル会場において、         http://firstair.co.jp/modefes/

渥美産業謹製「1/1000連合艦隊・横須賀軍港」
の展示会を開催いたします。

予定しておりました、破損箇所の修復作業は間に合いませんでした、、、ですが、調査の結果判明しました補正箇所がありまして、当日はそちらのご報告をかねて、イベント形式に進行して参りたいと思います。

会場室内、大変狭くなっている模様にて、フォトセッションを設けさせていただきました。

プレス関係および版元様ご報告の記録撮影と、一般向け撮影と分けて行いますので、ご協力をお願いいたします。


今回展示会の記念に、「渥美産業1/1000連合艦隊」カタログの復刻版(画像①②および③)を版元様、その他のご協力を得まして用意いたしました。
限定数、僅かですが50部です。(もちろん、無料進呈致します)
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一応先着順ですが、条件設定を設けます。

1:割引券なしご入場

2:当ブログ読者

上記2点の条件をクリアした先着順といたします。

1:については入場券領収証にて確認(確認済み検印等を押印いたします)

2:については合言葉的「キーワード」を本ブログにて後日掲載いたします、お見逃しなく。

※復刻版カタログについて御断り

版元様より特別に許可をいただいて作成したものです。

画像①のとおり、オリジナルと同寸ではありません。
また、画像③のとおり、裏面に「非売品」と追加印刷してあります。


誠に恐縮ですが、今後のイベント活動の際に配布等不許可となる恐れがございますので、以下のとおりお願いいたします。


・ご家族やご友人へのお土産でしたら構いませんが、ネットオークション、中古販売業者等への有償譲渡はお止め下さい。


・無償であっても、複製複写による配布等はお止め下さい。また、ブログ等インターネット上への画像のアップロードも同様にお願いいたします。


※出版社等メディアへの掲載、読者プレゼント等の企画等につきましては事前にご相談下さい。



retro kit and toys com

より、艦船模型キット蒐集に関する御願い!

当方、次の艦船模型キットを探しております、、、

○斎藤模型  1/1000
・巡洋艦「筑摩」 

・駆逐艦「吹雪」

・駆逐艦「秋月」

物々交換にも応じられる様、アイテム用意してありますので、当日ご相談いただけますと幸いです。

昨日は、

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今、孫達が遊びに来ているので部屋も使えないから、プラモとは今遊べない、

そう、部屋のドアはピッタリと閉じて決して見せてはいけない、だから何が部屋にあるのかは当然

知らない、知ったが最後、それはもう大変なことになるから、

ということで、

昨日はいつものように、「明石市立文化博物館」でボランティア活動を行ってきた、
                 http://www.akashibunpaku.com
今は「くらしのうつりかわり展」を開催しているので、小学生を相手に展示物の解説等の活動であ

る、  それが終わったら、その近辺を自転車で徘徊ではなく、巡回活動を?

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明石港の出入り口、

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明石港から高速船が出港、

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そう、この船がいつも利用する最近新造された高速船の「マリンあわじ」

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以前のフェリー船着き場は今はマンションが建っている、

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ここが、夏になると僕の水遊び場となる所、今年もここで船を浮かべて遊ぶ予定にしている、

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ここは、魚釣り場、柵があるので子供ずれでも安心して遊べる、

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「大蔵海岸」

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そして、舞子の明石海峡大橋から淡路島を望む、  僕の好きなカメラアングル、

まあ、大体が明石からここらへんまで自転車で巡回するのが日課?となっている。



お魚の絵を描く、

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昨日は天気が悪かったので車で遊びに来ている孫達を須磨の水族館へ連れていった、

ところが、帰ってきたら、「お魚の絵を描いて」 と言う、

はたと困った、絵など小中生の頃以来書いた記憶がない、また絵の才能などまったくない、

まあ適当に描いてあげれば納得するだろうと、適当に描いてあげた、

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これが、描いてあげたお魚の絵、適当に描いてハサミで切り抜いてあげた、

これがわりと好評?で、これを持って帰ると言う、

それではと、家に持って帰ったら色を塗りなさいと色鉛筆を付けてあげた、

まあ、とんでもないお魚の色になることは間違いないだろう、

また、明日からはいつものように一人でプラモと遊べることとなる。

サイボーグ ロボット コグレ模型

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サイボーグロボットのゴムローラー4個を自作したので歩かせてみた、

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見てわかるように3個が今回作成したもの、1個はずっと前に作成したものでまだ作成技術?が

確立していない頃のもの、もちろん、セロテープにて固定している、

これで、完璧なまでの歩きになりスムーズな動きとなった、

そう、オリジナルのゴムローラーの時の歩きよりも、ずっとスムーズな歩きとなった、

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比べたらその歩きの動きの違いがよくわかるだろう、


次が以前の歩きのもの、


作った中では一番新しい戦車プラモ

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僕は今の戦車プラモ等にはまったく興味がないので、今までに作った戦車プラモはほとんどが昭

和30年代のものばかりで、どんなに新しくても40年代初期までのものである、

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例外的に新しい戦車プラモがこのタミヤのM41戦車シングルである、そう、この1輌のみが唯一

作った新しい戦車プラモである、ま、新しいとは言っても、数十年は経っているが、

これくらいの時代になるとこの戦車プラモを作って走らせた若い?方々も多いのではないだろう

か、

10年ぶりくらいに取り出して走らせてみた、

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砲塔を外して、上部」ボディーはこの爪を引っ掛けて固定する、

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単2電池2本を使用、この時代になると今の電池でもちゃんと収まる、ギアボックスは金属製なの

でプラ製のように劣化する恐れはない、

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スイッチはこのような金属製で接触不良等になることもない、

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突き出たスイッチの爪を右に動かすとスイッチが入る、

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ポリキャタピラは起動輪の爪にちゃんと食い込むようになっているので外れることもない、

走るだけでギミックはないので動画は省略、アッ、そうそう、転輪のキュルキュル音はいい。

古いラッカー、シンナーを、

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古い昭和のプラモにはラッカー、シンナー等も当時の古い物がやっぱり似合う、

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だから、干からびて使えない物もインテリア?としては使い物にはなる、

ほとんどが干からびているが、中には残っているものもある、

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このマルザンのシンナーも1/3ほど残っていてキャップを開けて嗅いでみると、微かにまだ臭いも

残っている、

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島田塗料のマメラッカーもまだまだほとんど残っているものも、

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そうそう、使えなくても捨てられないものに接着剤もあった、 <続く>

キーワードの一文字目は、

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http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71020679.html の「渥美産業カタログ復刻版」の無料進呈

について、キーワードは3文字あります、今日から一文字ずつ3日間お知らせしますので、その

3文字の合言葉を会場(tretro kit and toys com with 模型探偵団ブース)にてお知らせ下さい、

先着50名様に無料進呈致します、

最初の一文字は「あ」 です。
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